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国と国との友好印象論
先日、あるテレビの討論番組を見ていたら、どうも違和感を抱いた。評論家諸氏は、中国と日本人との文化的なギャップを語る。そして政治問題を語る。あるいは体制の問題を述べる。
そのどれもが、実感を伴わない――。
なぜだろうか。
私には「経済的要因が、多少の文化差を超越する」という確信がある。そりゃ、文化も違うだろう。政治体制も社会システムも違うだろう。でも、経済が接点となり、それらを融解していく。
日本企業で中国に進出しているところはおおむね好調だ。もちろん薄利かもしれないけれど、×n数が日本とは異なる。率ではなく額として、けっこうな儲けをたたき出している。
そうなると、現場の実感では「中国人にはいい人もいれば、悪い人もいるなあ」という当然の感想がうまれてくる。これは「日本人にはいい人もいれば、悪い人もいるなあ」という彼らの感想も生んでいるだろう。メディアで報じられているステレオタイプな像ではなく、かつ均一でもない一人ひとりの生身の触れ合いを通じて、そのような「当たり前」の感想が出来してくる。
もちろん、評論家諸氏のいうことが間違っているとはいわない。俯瞰してみると、まだ中国と日本が対立したり、騅逝かなかったりすることもあるんだろう。でも、どうしても埋めることのできない、現場との実感はある。
「経済的要因が、多少の文化差を超越する」
いまさらながら、「どこの国に住んでいたって、同じ人間だよ」という青臭い、古びた、それでいて一抹の真実を語っているこのフレーズを繰り返したくなる。