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家族の虐殺問題①
「1億円をもってこい!!」
こんなことを言われたらどうだろう。そんなことをいきなり他人にいう人は、おそらく狂人か、私たちの理解を超えた人だろう。
しかし、こういう仮定だったらどうか。
あなたの家族が殺人犯に捕まったとする。そして、その殺人鬼からあなたの元に一本の電話がかかってくる。その殺人鬼は家族を虐殺すると告げる。ただし、家族が殺されないために、一つできることがある、という。
それは「1年以内に、1億円をなんとか集めて持って来い」というものだ。これならば、どうだろう。おそらく、ほとんどの人が、一年間を必死の思いで駆け抜け、できることはなんでもやり(もちろん合法の範囲で)、必死に必死になんとか1億円を集めようとするのではないだろうか。
さらに、こういう仮定を加えたらどうだろうか。「1億円を持ってくるときに、誰かから借りてくるんじゃない。お前がなんとか稼いで持って来い」。これでも、私には不可能とは思えない。ほとんどの人たちが頭をひねって、なんとか家族を助けるために1億円を工面するのではないか。
では、とここで立ち止まる。
なぜ、必死に頑張ったら1億円を1年間で手に入れることができるのに、今のあなたはそうしないのか、と。もちろん、これは私自身に向けた問いでもある。家族の虐殺を防ぐためであればできることを、なぜ平時の状態ではできないのだろうか。
ここで問題を、少し変えてもいい。「一年間に、10%のコスト低減ができなければ、お前は来年から仕事を失い、そして新たな仕事を得る見込みもなくなる」と。なんと、容易に思えることだろう。たったの、10%で良いのか、と思った人もいるに違いない。失業するくらいであれば、必死に頑張って、10%のコスト低減くらい成し遂げる人が続出するだろう。結局は、仕事の成果とは、その緊迫感の有無にかかっているところが大きい。
あるとき不可能だったものが、前提を変えるだけで可能となる。それがたとえ「1億円を持って来い!」だったとしても。
では、この比喩は極端なものなのだろうか。
私にはそう思えない。どの企業も、どの個人も、恐ろしい崖っぷちに立っているにも拘わらず、その危機感は希薄である。「一年間に、10%のコスト低減ができなければ、お前は来年から仕事を失い、そして新たな仕事を得る見込みもなくなる」という仮定は、極端なものではなく、まさにバイヤーが今置かれている状況だと思うのだ。
もちろん、家族を虐殺される、という仮定に比べたら、それは易しい。しかし、私にはその程度の切迫感をもって仕事に立ち向かうべきときだ、と思われる。
会う人、会う人が口を揃えて「今大変なんですよ、給料も下がっちゃって」と嘆いている。しかし、その人たちの中で、実際に変革に向けて挑んでいる人たちは、驚くほど少ない。何かを必死にやり遂げようとする人たちも、驚くほど少ない。
これでいいのだろうか。