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技術者(設計担当者)から「注文書発行屋」と言われたとき 2
社内の他部門から「注文書発行屋」と言われた時の衝撃は、忘れられません。しかし「注文書発行屋」と言われたその瞬間が、私のバイヤー人生の始まりでした。
正直、途方に暮れました。そもそも「天職は営業」と思っていた私に、調達購買部門への異動は不本意でした。数年間苦労して、顧客との関係も作り上げ、やっとのことでなんとか主体的にやれていたまさにそんな時期の異動だったのです。
本社勤務から工場勤務となりました。スーツを着て通勤していたのが、Tシャツにジーンズに変わりました。確かに、例えば今の時期などは本当にラクです。でも、私のモチベーションは一番低いところを這って、かつ彷徨っていました。
いままでは、毎日のように終電で帰ったり、タクシーで帰ったりしていたのが、定時に帰って、18時からのニュースを見ながら夕食を摂る生活です。今となっては懐かしさもありますが、かなり時間を持てあましていました。スポーツクラブに通ったり、ゴルフの練習場に通ったりして、空いた夜の時間を埋める日々です。しかし、これまでの業務上の充実感は戻らず、心の空白はそのままでした。
そして、もう一つ私にとって大きな問題がありました。
私よりも2年先に調達購買部門へ異動した同期入社の同僚がいました。既に調達購買部門の中核を担う仕事をしていたのです。担当する購買量は、5倍もの差がありました。対して、私が担当している購入品は、どう考えても重要とは言えないのです。このような考え方は、今では慎むべきと理解しています。しかし、当時の私には、なんとか克服したい、負けたくない相手であり、それは自分がより重要で金額の多いサプライヤーを担当することでしか勝つことはできないと考えていたのです。
でも、そもそも購買量で5倍もの差があれば、生み出すコストダウン額にも大きな差が生まれます。今思えば「まだ異動したばかりだから」と、担当割りを少なくしてくれた上司には心から感謝しています。しかし、当時はそう思えなかったのです。
そんな悶々とした日々を1年くらい過ごし、私は学生時代に傷めた足首の怪我を悪化させ、入院することになりました。この入院が、私にとって大きな転機となるのです。