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泣けるコストダウン②
テストをしてみよう。たとえば、これを読んでいるあなたの周りに五人の同僚か部下がいるかもしれない。そこで、あなたはその一人に、こう言ってみてほしい。「ウチでコスト低減を推進するために、まずは他社がどんな手法をとっているか調べてくれないか」
その「彼」は、すぐに「了解です」と調べ始めてくれるだろうか。きっと「彼」は、めんどうくさそうな、そして生きる熱意を喪失したような目で、こう聞いてくるだろう。
「他社って、たとえばどこですか?」
「そういうのって、どうやって調べればいいんでしょうか?」
「そんなことやっている時間はないんですが」
「田中君にやらせたらどうですか?」
「明日でいいですか?」
「ニュースサイトをお伝えしますから、ご自分でやってくれませんか?」
「ぼくは、そんなことをするために、ここにいるんですか?」
そして「彼」は、その質問のあとで、不満そうな顔で頷き、しばらくすると違う誰かに――事務職の女性とかに――その仕事を丸投げし、その5時間後に「探すことができませんでした」と言うだろう。もしかしたら、あなたが想像する以上の資料が出てくるかもしれない。でも、多くの場合は、そうではないだろう。残念ながら。
あなたは、きっと大人の表情で「そうか。わかったよ、ありがとう」と言うだけだろう。
このように、自分から動こうとせず、創造性を自ら捨ててしまい、倫理を持ち合わせず、やる気がなく、相手が気持ち良くなるように仕事を引き受けることができない人たちがいるから、調達・購買部門の地位は低いままなのではないだろうか。自分のためにですら努力しようとしない人物が、まわりのため、会社のために行動を起こそうとするだろうか。
最近は、雇用状態が不安定になっているから、多くのバイヤーが職場に不満を抱えたままとどまっている。バイヤーの中途採用を募集しても、その多くは日本語すらちゃんと使えず、礼儀もしっかりしておらず、しかもそれらがなぜ大切かを考えてもいない、と私の知り合いの経営者はいう。
このような人たちを信じて、全権を託して、「緊急コスト改善プロジェクト」の立ち上げを命じることなどできるだろうか。
「あのバイヤーのことなんですけどね」とある企業の調達部門の課長職の男性が教えてくれた。「あいつねえ、仕事はちゃんとすることはするんだけれど、出張に行かせたらダメだね。絶対にサプライヤーさんと飲みに行っては、遅くまで女性の店に居座るんだよ」
こんな男性に、部門の運命を任せることができるだろうか。私は最近、「不況で、虐げられている従業員たち」に対する、同情をよく耳にする。私はその同情に与しないわけではないが、すべての従業員たちが高潔ではないのと同じように、すべての経営者たちが貪欲でもない、というくらいの認識は持っている。
経営者たちが、ロクな働きをしない社員たちに、少しでも良い仕事をさせようと走り回っても、社員たちがその熱意を理解せず、すべてが徒労に終わった例も知っている。そして彼らは髪の毛を白くする代わりに、ちょっとのお金と住むところ以外は何も残らない。
今はみなが必死である。ほぼすべての企業や部門のなかで、ちょっとしたムダを駆除しようと苦悶している。そして、もしかすると報われない努力が重ねられ続けている。そんな中にあっては、経営者たちは「ちゃんとした働きをしてくれるはずだった」バイヤーたちを解雇し、代わりの優秀な人物を雇う、ということが起きても何ら不思議ではない。
会社経営とは、もちろん社員の幸福向上のためにあるものでもあるが、まずは最大限の利益を捻出するために集中される。それは、「緊急コスト改善プロジェクト」を、自信をもって引き受けてくれる勇気ある人物を探し続ける、ということでもある。
人は自分自身を悲劇のヒーローにしがちだ。バイヤーたちと話すと、そこにはいつも悲哀が満ち溢れている。「課長がイヤな奴で!」「誰もおれの本当の実力が分からないんだ!」。そのようなバイヤーは、まず何よりも「自分が他人に与えるところから始めなければいけない」という真実を知らない。だから他者から何かを受け取ることもできないだろう。もし彼らに「緊急コスト改善プロジェクト」をお願いしたら、きっとこう言うだろう。
「忙しいので、他の人にお願いしてもらえませんか?」
私は、このように意欲がないバイヤーを、簡単に更生させることができない、と経験から知っている。それに、むしろこのような人たちは憐みの対象かもしれない。
しかし、である。彼らを憐れむ暇があるのであれば、別の人たちに対してそっと涙を拭いたい。崇高な目的のために就業時間やお金など関係なくただひたすら努力しているバイヤーたち、そして今日も勝てない調達に挑んでいる偉大な「どあほうたち」に、である。
私は言い過ぎだろうか。そうかもしれない。
ただ、私の関心の対象はいつも、無謀な仕事に熱意をもって取り組むバイヤーだった。「緊急コスト改善プロジェクト」を命じられればそれを黙って快諾する。無視しようとせず、やる前からあきらめもせず、自分の不遇を恨んでみることもない。そんな人であれば、もし会社がなくなっても、どこでも働いて生きていける。社会の進化とは、そのような高貴な生のあり方を探し続ける、終わりなき旅のことである。
2001年に私が不意に聞いた物語。彼はその後、社内のすべての話題をさらった。彼はどこの調達部門でも、いや、どこの会社でも、どんなプロジェクトでも、どんな人間からも必要とされるのだろう。誰もが、彼を呼んでいる。彼のような人間は、多くのところで、本当にいたるところで、本気で、真剣に、必要なのだ。