菅首相擁護論と注文書を発行しないバイヤー(牧野直哉)

菅首相擁護論と注文書を発行しないバイヤー(牧野直哉)

予め断っておきますが、この記事は先週の内閣不信任案を受けたものではありません。以前より6月最初の記事に予定していたものです。(この部分は最近書きましたけどね)

昨年の11月に横浜で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)でのお話。TPPという言葉が大きな話題となりました。TPPとは環太平洋経済連携協定と呼ばれます。現在では米国が主導する貿易に関する取り決めです。貿易協定には、いくつかの種類があります。それぞれ簡単に説明します。

1. FTA(Free Trade Agreement)主に財の貿易を自由化する自由貿易協定

2. EPA(Economic Partnership Agreement)財の貿易に加えて、サービスの取引の他、投資、経済協力など幅広い分野を含む経済連携協定

3. TPP(Trans-Pacific Partnership)EPAの環太平洋地域版

上記1.2が主に二国間の取り決めであるのに対し、TPPは複数国家間のものです。昨年11月時点では、今年の6月を目処に日本として参加するかどうかを検討すると菅首相自らが表明しました。そして6月になりました。

昨年11月に行なわれた表明について、当時の新聞報道を読んでみます。なにか突然の表明であるかの如く報じられていますね。しかしこれは間違っています。昨年の2月には、政府としてアジア太平洋自由貿易圏の構築に向けた取り組みを行なうと表明しています。(2010年2月2日 日本経済新聞朝刊より)従来の枠組みとして紹介された一つとしてTPPも登場しています。昨年11月の菅首相の発言は政府にとしての既定路線であったわけです。ただ、参加すると決められなかった。参加するかどうかを、今年の6月を目処に決定することになりました。私は「検討する」だけであったとしても、この発言は非常に大きくで評価できることだと考えています。

こういった貿易自由化への取り組みで、必ずといってよいほど問題になるのは、日本の食糧自給率の問題です。既存のTPPの内容を見ると例外規定が非常に少ない。故に、高コストである日本は、農産物を生産する人々を守れない。安価な海外からの、安全でない食品に日本産食品は駆逐される。ひいては、日本の食が危ないとなるわけです。菅さんは、このような反応が起こるであろう事は当然予想していたでしょう。しかし、参加を検討するとは発言した。しかし、大きな議論が巻き起こることを恐れずに検討することを決断した点は、評価できるのではないかと考えるのです。この写真を見てください。日本の農業を牛耳る団体のビルが写っています。この構図……まったく非論理的ですが、手前に写っているビルよりも遙かに大きい。なにか日本政治への影響力を象徴しているようです。奥の大きな方のビルが国際競争力がないと嘆く業界のビルです。私も何度か訪れた事がありますが、素晴らしいビルですよ。オフィス環境は、一般的に日本企業よりも外資系企業の方が豪華です。この団体も、オフィス環境だけはグローバルレベルですね。(但し、テナントとしてこの業界関係者以外も入居されています)

そして、この参加するかどうかを検討するとしたTPP。これが実現した場合、我々バイヤーにも非常に大きな影響を与えます。私は、これから述べる問題が、より日本人に大きな影響を与えるのではないかと思っています。

最初に、貿易協定の種類を三種類提示しました。1と2の違いは、人や資本にも国境が無くなり自由に行き来ができる可能性があるということです。自分の隣の席に、アメリカの大学を卒業して、英語+日本語+韓国語のできるバイヤー経験者が座り、仕事をする……そんなことが現実化するかもしれない。アメリカ西海岸では、そんな人材が現在の為替($=¥82)だと額面年収328万円(4万ドル)で雇えるのです。他の新興国へ目を向ければ、もっと安い給与で働く人材が沢山いることでしょう。TPPの締結は、農業よりもなによりも、日本企業のオフィスで働く非効率な社員が、最初に駆逐されてしまうのではないかとすら思えます。

TPPの従来の枠組みでは、現在24の作業部会で交渉が進められています。作業部会とは次の通りです。下記とは別に、主席交渉官協議も行なわれています。(出所)Trans Pacific Strategic Economic Partnership Agreement

1. 市場アクセス<工業、繊維・衣料品、農業>

2. 原産地規則

3. 貿易円滑化

4. 衛生植物検疫<SPS>

5. 貿易の技術的障害<TBT>

6. 貿易救済措置

7. 政府調達

8. 知的財産権

9. 競争政策

10. サービス

11. 金融サービス

12. 電気通信サービス

13. 商用関係者の移動

14. 電子商取引

15. 投資

16. 環境

17. 労働

18. 制度的条項

19. 紛争解決

20. 協力

21. 分野横断的事項

これだけの内容を網羅した多国間交渉です。そして掲げられた理念は、自由化の度合いが非常に高いものです。この作業部会を見れば、TPPの是非について、もっと広範囲な議論が起こっても良いとは思いませんか。先に挙げた24項目に、いずれも関わってないと言い切れる人が、果たしてどれだけいるでしょう。TPPを農業問題と捉えることは、問題の矮小化です。

TPPが発動して、バイヤーにとってどんな影響を及ぼすかを想定してみます。サプライヤーから見積をただ貰う。そして形だけの交渉して、見積金額から少し値引いた金額で注文書を発行する。金額の低いアイテムに至っては、価格交渉すらせずに見積書通りに発注する。そのようなバイヤーには、きっと未曾有の事態となるでしょう。仕事が失われる可能性が高くなります。一方、海外とのモノやサービスの行き来は盛んになるでしょうから、スキル高く行動力のあるバイヤーには大きなチャンスが到来することになります。そんなバイヤーを、「注文書を発行しないバイヤー」と名付けたいと思います。バイヤーの仕事とは、注文書や発注書を発行する前段階、いわゆるソーシングや価格を決定するプロセスにこそ付加価値そして意義があるのです。

TPPとは貿易の自由化です。バイヤーの我々には、買い付けの制約要因が確実に減る。一方、モノやサービスを提供する側の責任は、これまでと変わりません。品質面、安全面の観点で「買わない」という意思決定ができるのはバイヤーです。価格対比でどのレベルの品質保証を行なっていくか……食品であれば、安全面に妥協は許されませんね。機能分化の進む大手企業のバイヤーであれば、それは技術、これは品質保証の責任……と思われるかもしれません。しかし、ではバイヤーはなにをしてくれるのか、という本質的な質問に答えを持つことが必要です。自由とは選択肢が増える事です。なにか窮屈だな、と思っていても、実はその窮屈さに自分も守られている……私は今の日本の大多数のバイヤーと多くの農業従事者が同じに写ります。自由を享受し、多くの選択肢の中から選び抜く為の目をバイヤーは持つ必要があるのです。バイヤーが選ぶ目を持たずに貿易自由化が行なわれた場合、一昨年の餃子事件のような出来事が頻発するかもしれないのです。

バイヤーが選び抜くために必要な「目」とはなにか。価格に関する妥当性を見いだすことは、できて当たり前です。私は、様々な角度からの判断基準と考えています。価格だけではない、技術、品質、納期といった観点です。一人でどこまでできるのか、と言い換えることができます。最終的な会社としての決定は、社内の役割分担に委ねることが必要でしょう。しかし、バイヤー自身で判断できる分野が広ければ、それだけバイヤーとして生き残る可能性が多くなるわけです。まったく注文書を発行せずとも、です。

菅首相のおこなったTPPへの参加検討表明。これを農業問題、食糧自給率問題とのみ据えることは、個人にとって大きなリスクです。バイヤーに、自分にどのような影響があるのか。そんな危機感を持つきっかけをくださった菅さんに、私は心から感謝しているのです。既存の仕組に疑問を投げかける……政治家としての一つの使命をまっとうしたのです。この点だけは、素晴らしいくないでしょうか。

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