規格とやりやすさの臨界点(2)

規格とやりやすさの臨界点(2)

   話がそれた。

元に戻ろう。

私は上記の例に矛盾を感じずにおられない。

早い話、それはこういうことだ。

「バイヤーの表向きの企業体質要求とは相反して、ザルな企業の方が実はバイヤーにとっては有益なのではないだろうか」

原価管理があまりに完璧で一定コストしか出してこないサプライヤーと、原価管理がザルゆえに無理なコストダウン要求ものむことができるサプライヤーと、一体どちらがよいだろうか。

もちろん、真のバイヤーはこういうだろう。

「サプライヤー企業のことも長期的に考えて、ソーシングすべきだ。だから相手企業の無理なコストダウンは有害でしかない場合もある」と。

しかし、その理屈は本当だろうか。

目の前の1円のコストダウンに困っているバイヤーたちにも、絶対的な真理であるのだろうか?

赤字で売りつづけ、いつしか倒産してしまうサプライヤーが素晴らしいとは言わない。

だけれど、自己の身を削って売りつづけるサプライヤーがいたらそれは、良いサプライヤーなのだろうか。悪いサプライヤーなのだろうか。

・・・・

設計仕様の打合せとコスト打合せを、全て記録に残すことに決めたサプライヤーもいた。

その企業は3年後に、オフィスと別の建屋をたてて保管することになった。

しかも、その書類群はほぼ二度と読まれることもない。

久々に昔の製品の質問があれば、その製品に関する書類を探し出すのではなく、その製品に関わった技術者を探し出すというありさまだ。

これが一体昔のやり方と何が変わっているのだろうか。

規格を保持する、という表面上の意味以外に何があるのだろうか。

私は以前香港で、ISO取得企業の工場の工員が、スリッパで作業をしているところを見たことがある。

しかも、精密製品なのに、手洗いもせず、不衛生な環境で生産されていた。

こんな工場を許す規格ならば、どんな意味があるというのか。

ISOやらを取得していれば、工場監査を免除する、などということは聞いたことがない。

では、ISOを取得するということにどんな意味があるのでしょうね、と私はあるメーカーの工場長に聞いたことがある。

「名刺に記載するためじゃないですか」とその工場長は笑って答えてくれた。

しかも、企業によっては社内で事前監査などを実施しているところがある。

社内監査員のそれぞれに対して「この人はこういうところを見るから、ちゃんとヤバい資料は隠しておけ」などという「立派な」指示が飛ぶ。

・・・・

一体、サプライヤーに要求する規格とはどんな意味があるのだろうか?

そして、一体バイヤーが真に求めなければいけないサプライヤーへの要求とはなんなのか。

流行の規格取得よりも、必要なことが忘れられているのではないだろうか。

真の求めるべきサプライヤーとは何だろうか?

完全に規格を否定するでもなく、規格だけを盲信するでもなく。

自己の基準を持っているのだろうか。持っていないことは悪いことなのか、いいことなのか。

「新聞の字面から、自分だけの真理を考えよう」

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