購買とはメッセージである(2)

購買とはメッセージである(2)

あるときはこういうこともあった。

とある製品の担当を引き継ぐときに、価格表を受け取った。当然ながら、私は「このコストって本当に正しいのか、他社との比較表ってありませんか?」と訊いた。

すると、前任者は「そんなものはない」と言い切った。「そういうものを知りたきゃ、サプライヤーに作らせればいい」とまで言った。私が「だって、サプライヤーだって他社のコストは知らないでしょう」と言うと、「では教えてあげれば」と返された。

私はそのような常識を持ち合わせていない幸せな人間だったので、しかたなく自分でカタログを見ながら自分で数社の比較表を作成し、コストを埋めた。そしてどの領域はどのサプライヤーが最も安いか印を付け、関係の設計者全員にバラ撒いた。

これまでは、交渉はあくまで相手の出してきたコストベースで実施されているだけだった。

私には考えられないことだった。

またあるときは、こういう場面にも出会った。ずっとコストダウン額でトップを走っていたバイヤーがいた。ただ、そのバイヤーは原価低減のベースとなるところに、コストテーブルから算出したコストを置いていた。

そのコストテーブルは15年も前に作られ、改廃されていないものだった。

15年も経っていれば、市場の価値もだいぶ変わっているだろう、と思うのが私の常識だったが、違う「常識」がそこにはあった。

私はその常識に染まっていない人間だったので、会社の他の事業部の友人に連絡し、一体いくらで買っているのかを訊いた。他の事業部では、どのような取り組みでコストを下げているかを訊いた。

その後、営業マンには「図面を持って」交渉の場にくるようにお願いした。営業マンからは「購買さんから図面を見ながら交渉しようと言われたのは初めてです」と呆れられた。

そして、VA案としてまとめ、それを同じく設計者全員にバラ撒いた。

もちろん、その全てが効果があったとは言わない。だけど、少しずつ変わってきた。

それもこれも全て、これまでの常識にとらわれていないからこそできたことだった。

・・・・

設計者のフロアに遊びに行くと、常にうらやましい場面に出会うことになる。

そこでは、いつも若い設計者が、年輩の設計者に技術的な質問を交わしていた。「どうやったら上手く回路が動くか」「この新しい技術をいかに製品に応用するか」「過去のトラブルを繰り返さないためにはどうしたらよいか」。

そこには、個々人の発想があった。

個々人の工夫があった。

失敗の分析と次につなげるための施策の提案があった。

振り返ってみるに、購買の中で「どうやったら理論的に安くモノが買えるか」と若いバイヤーが先輩バイヤーに相談しているところなどほとんどお目にかかれない。

せいぜいあるのは「あのサプライヤーをもうちょっと叩いて、安くしろ!!」とか「こんなナメた見積もり出しやがって、あそこの部長に言っとけ」とか、そんなレベルの話くらいだ。

以前私は、購買とは「多くの発意の中で自社に価値のあるものにお金を払い続ける営みである」と書いた。

もしそれが正しいとするならば、購買とはアウトプット(=自社製品)と同じく、インプット(=買うという行為)を通じて世の中の価値を再定義する試みである。

その再定義に携わる人間が、自主的なコスト評価を捨ててしまってよいのだろうか。

力に頼った業務にばかり傾倒してよいのだろうか。

コスト評価のネタを自ら進んで仕込み、愚直で地道な分析をもとに理論的な交渉をしなければならないのではないか。

営業がアウトプットサイドの顔だとしたら、購買とはインプットサイドの大いなる顔であるべきだからだ。

「メディアはメッセージである」と言った社会科学者の権威マーシャルマクルーハンにならって、こう書いておこう。

「購買とはメッセージである!!」

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