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購買の常識、世間の常識(2)
なんだか、購買部のやっていることが高貴であるかのように、高尚であるかのように、他部へ宣伝する営みが続けられている。
あるとき、それは「購買戦略」という形で語られたりしている。
「いや、これは戦略上のことですから」。こう語れば、何もかもが許されるかのように。
そしてときに、バイヤーが現行コストから「いくら下がったか」という点のみにフォーカスし、「うちの購買はこんなにすごいんだ」と自慢しようとする。
しかし、と私は思うのだ。
だが、もしかして今やっていることは「大いなる暇つぶし」かもしれない、という認識くらいは持っておいたほうがいい。
私は、購買歴半年のころからこの思いにとりつかれている。
もちろん、第一線で働いているバイヤーのことを否定などしない。
が、A社を以前担当していた先輩バイヤーであれば、このA社に対して毎期毎期の定期コストダウンに莫大な時間をかけていたはずだ。
毎年3パーセントが下がったとしても、3年で10パーセントしか下がらない。それを、単に商社をかえるだけで一気に下がる可能性だってある。
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もし、手法をかえるだけでコストダウンが実現できるのであれば、従来のやり方を踏襲していたときにコストダウンのために発生した交渉時間は浮く。
逆に言えば、以前のやり方を踏襲しているなら、全くの無駄な時間を浪費することになる。
私が書いた事例は、たかが購入先を見直しただけの話だ。
しかし、たかが購入先を見直しただけで、コストダウンができた。
その後の問題もなく、支障もなかった。あったとすれば、既存の商社に侘びを入れにいったことくらいだ。営業マンが興奮して電話してきたくらいだ。
どうせ、何かモノを買うなら最安値のところを見つけたい。単純な発想を実行しただけにすぎないのだ。
購入先変更ですら、こういう効果だ。もし、部品自体すらも代替品を探すことができたら?それをグローバルな観点でやってみたら?多くの情報を持つプロがやったら?
そう思考実験してみれば、答えは自明だろう。
こう考えた私は、次に「現在購買部がやっていること」を疑いの目で観察せざるを得なかった。
もしかしたら購買のやっていることは無駄づくりじゃないか。
もしかしたら意味のないことで自慢しているだけではないか。
もしかしたら全然安く買っていないのではないか。
こういうことを真剣に考えることのできた私は幸せであった。
だって、20年近く購買業をやっていた先輩のやり方を、一瞬で超えることができたのだ。ただただ、嬉しい、だけではなく、そもそもの概念を疑ってかかるしかないのだ。
さらに、あえて言おう。
「虚像を拝んできた購買部員は、もう辞めたほうがいいのではないか」
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右翼が左翼を批判するときよりも、左翼が左翼を批判するときのほうが根源的な疑問をぶつけることができる。
キリスト教徒がもっともラディカルなキリスト教批判者になれる。キリスト教を憎み「アンチクリスト」を著したニーチェは、かつてキリスト教愛好者だった。
内部にいる者が、最もその組織の根幹を揺るがす批判ができる。
今、皆のやっていることが実は「しょうもない」ことで、購買は牙城ではないかもしれない。
そして、もしかすると我々は、購買能力がプロである人々から業務を奪われる時期にきているのかもしれない。
いや、少なくとも業務を奪われるかもしれない、という危機感は持つべきではないか。
多くのバイヤーが危機感を感じ、業務を見直すことができたとき、何かが変わる。
「バイヤーは、自己を否定してみろ!!」