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災害、祈り、希望①
伝説のビートパンクバンドであるブルーハーツは、1988年に自主制作アナログ盤で、当時の原子力事故についてこう歌っている。
「チェルノブイリには行きたくねぇ/あの娘を抱きしめていたい/どこへ行っても同じことなのか(『チェルノブイリ』)」
この曲をライブで演奏する前に、ボーカルの甲本ヒロトさんは「何を歌っているかわからなかったら、自分なりに調べて、自分の意見を持ってほしい」と語った。自身のその答えは、「現場には行きたくない」であった。同時期に、同じく伝説のロックバンドのRCサクセションは、「原発は要らねえ、要らねえ、欲しくねえ」と歌った(エディ・コクランのカヴァー『サマータイムブルース』)。ボーカルの忌野清志郎さんは、CDの発売禁止の弾圧を受けながら、この曲を公にした。
私は両曲を聞いたときに、ある種の衝撃を覚えた。まったく二つの別の意味において。前者は個人を歌っている。そして、後者は社会を歌っている。前者は、社会への「あるべき論」はない。後者は、社会へ「あるべき論」を述べている。これらを聞いたとき、まだ私はあまりに若く、社会問題について考える能力を持ちあわせてはいなかったけれど、社会に対して二つの見方ができることがわかった。
個人を語るか、社会を語るか。私はそのあと、ずっと個人を語ることに注力してきた。社会に対する「あるべき論」はつねにあやうい。一個人ができることなど、たかがしれている。それであれば、個人の実感を素直に話した方が良い。それ以降、私は調達・購買という小さな領域からだけれど、ミクロな言説を繰り返してきた。
勘違いないように言っておく。私はあらゆる音楽を聞いているけれど、忌野清志郎さんのCDはほとんど聞いているし、青山葬儀所の告別式に参加したほどだ。ただ、それでもなお、社会に「あるべき論」を語るのは、できるだけ避けてきた。
私たちは、この未曾有の危機の前で、どうせれば良いのだろう。おそらく、政府や東京電力の批判ではなく、個人の立場から、できることだけをやることだ(できないことは諦観を抱き静観するしかない)。私は「ほんとうの調達・購買・資材理論」のなかでこう書いておいた。