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私たちは過去から何を学ぶべきか(坂口孝則)
かつて大阪の居酒屋で働いていたことがあった。もちろんアルバイトだったけれど、そこで3年ほどいたので、酒呑みたちの人間模様を見た。自称学者、自称アーティスト、自称画家、自称起業家……。それらのいくつがほんとうだったかはわからない。
ただし、日々安っぽい服装に身をまとい、焼酎だけを飲んで帰る人のバッグに札束が溢れているのを見たことがある。それまで私は、お金持ちのイメージとして「スーツを着て、パソコンでプレゼン資料を作り、英語でディスカッションしているエリート」を思い浮かべていた。しかし、実際は多様な生き方や稼ぎ方がある。そんなことを漠然と感じた。
そんなアルバイトの日々で、一人の紳士と仲良くなった。いまは技術士として独立しており、以前は有名なコンピュータメーカに勤めていた。「ビッグブルー」と呼ばれていた企業、といえばほとんどの人はわかるだろうか。
紳士は人柄が良く、バイトの私にも酒をおごってくれた。頻繁ではなかったけれど、気に入った本があったら、「これを読んでおくと良い」と渡してくれた。そのとき紳士はたしかどこかの企業の経理システム導入を支援していて、朝から晩までずっと張り付いていた。忙しそうで、かつ専門性のある彼の姿は、学生の私からすればたしかに魅力的に映った。
私は不遜ながら「月収はいくらくらいなんですか」と聞いたことがある。この唐突さと無礼さは若者の特権だろうか。彼は「そうだなあ、50万円か60万円くらいだよ」と教えてくれた。「それはすごい」と私は単純に驚いたけれど、そのときに彼の見せた微妙な笑顔を忘れられずにいた。その意味がわかったのは、ずっとあとになってからだ。
そこから数年後、社会人になって忙しくしていた私は、ひさびさにその紳士に連絡をとってみることにした。私が引越しのときに、その紳士の名刺がたまたま出てきたのだ。どのような内容を書いたかはもう覚えていない。ただ、お時間があればまたお会いしましょう、と伝えておいた。すると、紳士からはすぐに連絡があり「今後大阪に来ることがあったら教えなさい」と言われた。
たまたまそのとき大阪に行く機会があったのだと思う(というのもほとんど記憶にない)。私は十三の駅で紳士と待ち合わせたあと、彼の実家に連れていかれた。おかしいな、と思ったけれど、そのまま彼の実家でひさびさの酒を酌み交わし翌朝を迎えた。
私がおかしいと思っていたのは、紳士が結婚していたはずだったからだ。子供、奥さん。霧消していた。私がなんとなく聞いてみると、「ああ、離婚したよ」と聞かされた。「どうしたんですか?」「仕事が上手くいかなくてね。そこから関係もギクシャクしだして」。それ以上の質問は私に許されていなかった。帰り際には、「実は仕事もいまはタクシーの運転手をやっている」と教えてくれた。「エクセルとかで客の乗車状況とかを分析するとね、なかなか面白いことがわかる。時間帯によってばらつきがあるとか。興味深い仕事だよ」。
そういって、彼はまた微妙な笑顔を見せてくれた。
あっと思った。
その笑顔は、数年前に見たそれだったからだ。
言いようのない感情にとらわれた。そして胸が苦しくしめつけられた。あのときに見た微妙な笑顔の意味が、なんとなくわかった気がしたからだ。
私はアルバイトのころ、若くて無知で、広がる世界に希望だけを抱いていた。そんな若者が大人に質問してきたとして、どんな現実を教えることができるだろう。あとで知ったことだが、彼は私と話した数年前には事業のほころびが出始めており、いつまで仕事を続けられるかわからなかったという。「今は大丈夫、だけど、いつ危機的状況になるかはわからない」。そんな気持ちを伝えられるほど、大人たちは素直だろうか。
きっと彼は純朴な私にたいして、微妙な笑顔を投げることくらいしかできなかったのだ。夢を抱く若者が飛び込もうとしている社会が、さほど希望に満ちていないことを知っていたら、その人は若者に何を伝えることができるだろう。
入社説明会でも思い出してみればいい。学生や若者にたいして発する内容は、常に「やりがい」「希望」「喜び」に溢れている。ただ、それを発する人たちが、いつもあの微妙な笑顔を浮かべる。
あの微妙な笑顔が今日も私の心に残っている。