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なにが「想定外」だったのか(牧野直哉)
2005年の流行語大賞は、どんな言葉が受賞したか覚えていますか?
このページには、言葉と授賞式の写真が掲載されています。この年は、年間大賞が二つありました。一つが、堀江貴文さんが記者会見の場で幾度となく発した「想定内」という言葉です。現代用語の基礎知識2006年度版は以下の通り解説しています。
ライブドア堀江貴文社長が、その負けず嫌いな性格からフジVSライブドア騒動の中で連発した。簡単な言葉に翻訳すれば「そんなことわかってますよ」。
[株式会社自由国民社 現代用語の基礎知識2006年版]
記者のどんな質問に対しても「そんなことわかっていますよ」と回答したわけですね。当時、堀江さんは上場企業の代表取締役でした。事業運営に関する質問に対しおこなった「想定の範囲内」との回答。ビジネスとは、やらゆる事象を想定して継続することを目指すものですね。堀江さんは経営者としての当たり前の行動をベースに、至極もっともな発言をおこなったといえます。 ところが、実際は当たり前ではないのでしょう。自信に満ちた堀江さんの態度も相俟って、繰り返し報じられました。
先月の大震災の影響による福島第一原子力発電所での事故。発電所を運営する会社の社長によると「想定を大きく越える津波だった」と語られています。震災発生以降、幾度となくこの「想定外」との言葉を耳にしました。確かに、震災直後に繰り返しテレビで流された津波が建物、車を飲み込んでゆく姿は、未だかつて見たことがないものでした。先の解説を踏まえると「そんなこと、わかっていなかったんですよ」となるわけです。
時を違え、二人の社長の「想定内」そして「想定外」との発言をご紹介しました。堀江さんの「想定内」との発言は、主にニッポン放送へのライブドアによる株式取得に関連して行なわれました。上場されていた企業の株式であり、関係する企業であり、いずれにしても、企業や個人の意思決定に対して「想定内」との発言であるわけです。いくつかの選択肢の中から行なわれる他人、他の企業の意思決定に対して「想定内」と回答していた。ライブドアとニッポン放送を巡る問題は、ライブドアによる敵対的買収ともいわれています。自らおこなった意思決定を「想定内」と言われた方にすれば、見透かされていたか~と、少し面白くなかった局面もあったことでしょう(たくさん、かな)。ただ、経営者として、どんな策を持ってしても確実に制御できない意思決定、それによる自らへの影響を「想定内」といってのけたのは、経営者として自らの意思決定に自信と確信があったことのあらわれだと感じています。
一方最近の「想定外」発言。なにが想定外だったかといえば、津波の規模を指しています。想定を越える津波によって、原子力発電所の機能に障害が発生 したということです。地震発生当日に冷却機能が失われたことが判明しています。冷却機能の逸失によって、原子炉格納容器内の圧力が上昇します。震災委発生の翌日には、一号機の周囲でセシウムが検出されており、核燃料の一部が溶け出た可能性があると発表されました。その後の経緯は、ニュースで報じられている通りです。
最近の報道で、原子炉建屋内部の映像が公開されました。その映像は、アメリカより提供されたロボットで撮影されたこと。また、撮影を行なうために、福島第一と同型の施設で、遠隔操作の訓練が行なわれていたことが報じられました。この報道では二 つ目の想定外の存在が暗に述べられていますね。原子炉から放射性物質が漏れ出した状況です。今回撮影したロボットは米国製です。日本には事態の想定さえできていれば、状況に対応した対策を実現する技術を持ち合わせています。 事実、今度は日本製のロボットが投入されます。この度投入されるロボットは、急遽いくつかの改造を施したそうです。放射性物質が原子炉から漏れ出して強い放射線を発する。そのことによって、簡単には原子炉に近づくことができなくなるといった事態は想定していなかった。故に、そのような事態への準備をしていなかったというわけです。
私の過去の勤務先には、原子力発電所を建設できる会社がありました。その会社では、新入社員に「原子力PA講座」なるものを実施します。PAとはPublic Acceptanceの頭文字をとったものです。原子力発電への取り組みなど電気事業への理解と協力を得ることを目的としています。私はその教育の一環で、西日本のある原子力発電所を見学しました。教育であり、研修ですので、終了後にはレポートの提出が義務づけられます。私は、率直にチェルノブイリを引き合いに出して「不安だ!」という感想を書きました。チェルノブイリの事件後にセンセーショナルに報道された、頭が二つある牛とか、異常に大きなタンポポなどを引き合いに出して、同じような事故が日本では起こらないのかとの質問をしたのです。
回答の主旨は次のような内容でした。
1. 指摘された事象(牛とかタンポポの話)と、チェルノブイリの事故との因果関係は、科学的に証明されていないこと
2. チェルノブイリ型と当社製原発(×××型)は、設計構造が異なるので、同じような事故は起こりえないこと
そして、その回答は、私の書いた質問と共に、当時の新入社員全員へ配布されました。配布された説明には「同じような不安を持たれた方の為に」とありました。
これらの経験から私はこう思います。日本の原子力発電の関係者は、今福島第一で起こっているような事象を、ほんとうに想定していなかったのです。そう断言できるほどに、あらゆる事態への想定が行なわれていたと自信があった。 強い放射性物質が原子炉の外へ漏れ出すはずがないと。事実、Google Newsで「想定外」と検索してみてください。津波を想定した初の訓練なんて記事が検索されます。今、福島で起こっている災厄を避ける目的では、歓迎すべき行動です。ただ、そんなニュースを目にする度に「ああ、ほんとうに想定外だったんだ」とも思います。 原発周囲に居住する人には、幾重にも安全への手だてが施されていることを言明し、自らもそれで終わっていたのです。
私がこれから述べることは、「たら・れば」です。
今、ベストセラーとなっている吉村昭さんの「三陸海岸大津波」の中には、こんな風に書かれています。
一、 緩慢な長い大揺れの地震があったら、津波のくるおそれがあるので少なくとも一時間位は辛抱して気をつけよ。
一、 遠雷或いは大砲の如き音がしたら津波のくるおそれがある。
一、 津波は、激しい干き潮をもってはじまるのを通例とするから、潮の動きに注意せよ
これは、三陸地方を襲った昭和8年の大津波の後に、岩手県庁が発行された「地震津波の心得」というパンフレットに掲載された一節です。この500円に満たない本のまえがきには、こんな筆者の言葉があります。
「私は、むろん津波の研究家でなく、単なる一旅行者に過ぎない。専門的な知識には乏しいが、門外漢なりに津波のすさまじさにふれることはできたと思っている。 」
この本には、実際に津波に遭遇した方へのインタビューや、当時の記録によって、三陸地方を襲った明治39年、昭和8年、そして昭和35年のチリ地震による大津波について述べられています。研究家でない一旅行者で、門外漢が書いたものだから、専門家集団である今回の福島第一原子力発電所の当事者の人たちは読んでいなかったんでしょうね。三陸海岸とは、青森・岩手・宮城各県の太平洋岸のことですし。しかし福島はその隣なんですよね。文中には、標高50mのところにも津波によって海水が押し寄せたともあるんです。となりの県の50mの標高に海水が迫ったら、ここはどうなるのかな、って考えなかったのはどうしてなのか。読まなかったんでしょうね、きっと。
私の仕事で仮に想定外の事象が起こったと仮定します。しかしその影響は、せいぜい納期が遅延するとか、利益が得られないとかいった内容でしょう。でも、想定外だからといって、その責任が回避されるものではありません。想定外によって引き起こされた異常な状況を正常に戻さなければならない。そして、正常化したその後に、なぜ想定外となったのかについては、突き詰める必要があると考えています。そんな前提にすると、一介のバイヤーでも、「想定外」なんて軽々しく使って良い言葉ではないのです。 仮に使ったとしても、責任は免れないし、正常化は一刻も早期に実現し泣ければならないのです。
そして、今回はいったいなにが想定外であったのか。この規模の津波は、吉村さんの本の通り、歴史に今回に似た状況を見て取ることができます。 従い、今回の津波の被害は想定外ではありません。原子量発電所において、地震・そして津波の先に今回のような事象がおこることを全く想定していなかったということです。 繰り返しますが、決して「地震」や「津波」が想定外だったのではないわけです。そして「想定外」という言葉は、なぜそうなったのかを解き明かす確固たる覚悟をもって使う言葉です。そのような覚悟と、その後の行動を伴わない「想定外」との 発言は、たんなる責任逃れでしかない。今回「想定外」と発言した方の、これから覚悟の程を見ていかなければならない、私はそのように考えています。