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出版という仕事は個人の何を変えるか(坂口孝則)
金曜日の17時になると、幻冬舎の竹村優子さんから電話がかかってきた。竹村さんは「牛丼一杯の儲けは9円」を担当してくれた編集者だった。「5,000部の増刷が決まりました」と教えてくれた。「ほんとかよ」と思った。
説明するまでもないかもしれないけれど、増刷とは書店の在庫が切れそうなときに、追加で印刷することだ。5,000部の増刷で、印税は10%だったから、
700円×10%×5,000部=35万円
が、何も働いていない私の口座に振り込まれることになる。サラリーマンの1ヶ月分の給料に値する。そのころ私は、あとで所得税として持っていかれることも知らずに、何に使おうかと考えていた。しかも、その増刷連絡は、それ以降も続いた。
これは現在の話ではない。2008年初頭の話だ。
そこから戻ること数ヶ月前、2007年の11月のことだ。本を出版することになっていた私は竹村さんから初刷部数を聞かされた。「12,000部です」という。ビジネス書は平均で3,000部しか売れない、と聞いたことがあった。その4倍だ。私は「それは刷りすぎだと思いますよ」といったけれど、竹村さんは「大丈夫ですよ、面白いから」といってくれた。
2008年1月に「牛丼一杯の儲けは9円」が発売されると、翌日に竹村さんから「売り切れたので増刷します」と電話がかかってきた。何かの間違いかと思った。それ以降、幻冬舎が増刷会議を行なっている金曜日になると、決まって17時に増刷の電話がかかってきた。それがしばらく続いた。
たとえば私の尊敬する小説家の森博嗣さんは、こんなことを書いていた。
《デビューした年に、大学の給料の倍の額の印税をもらった。次の2年で、大学にあと30年間勤務してもらえる給料の総額くらいを稼いだ。さらに次の2年で、一生かかっても使い切れない額を得たと思う。だから、この時点(5年まえ)に既に仕事をする必要はなくなったのだが、その後も仕事を続け、収入は増え続けた。何のために働き続けているのだろうか?》(『MORILOG ACADEMY2』2006年3月31日)
もしかすると、自分も印税だけで食っていけるのではないか、と誤解してしまったのも、このころだった。
読んでくれた人はご存知のとおり、「牛丼一杯の儲けは9円」には著者(私のことです)のメールアドレスを掲載していた。だから、さまざまな人から連絡が届いた。狂信的な人から、「デタラメ書くな」と言われた。「材料費がそんなにかかっているはずないだろう」と。どうも批判者のほとんどは「粗利益」と「最終利益」を混同しているようだった。私が意図的に盛りこんでおいた管理会計のトリックがあったけれど、そこをつく本質的な質問は届かなかった(そして今も届いていない)。ただし、その話は置いておこう。
もっと驚いたのが、どこの馬の骨かもわからない私のような人間の「話を聞きたい」とオファーしてくる人がいたことだ。具体名は書けないけれど、ゴールデンタイムで牛丼の解説をやってくれないかとか。連続講演で、茂木健一郎さんの次にやってくれないかとか。また、怪しげな業界団体で基調講演をやってくれないかとか。そんなのが矢継ぎ早に舞い込んだ。ちなみに、「牛丼一杯の儲けは9円」はヒット作(10万部以上)とまではいかなかった。それでも、これだけの依頼があったのだ。
私はそのほとんどを断り、活字メディア(雑誌・新聞)だけを引き受けた。もちろん、このような波にうまく乗れる人もいるだろう。ただ、私はできなかった。いまでも、あのころにすべての仕事を引き受けていたらどうなっていたのだろう、と思うことがある。
ここで終わったら単なる自慢話だろう。ただ、物事は単純ではない。
このころのことを正確に記述するのは難しい。というのも、私は単に「調達・購買関係」の人であって、この領域はマイナーでしかありえなかった。調達・購買から世の中の商品を読み解く本は依頼があって書いたわけで、世の中の注目を浴びることは私の想定外だった。
そして「牛丼一杯の儲けは9円」以来、どうも気持ちが不安でいっぱいになった。この本はエンターテイメントであると自称している。ほんとうの私は「調達力・購買力の基礎を身につける本」のような専門書を書きたいと願っていた。この奇妙な不安を、誰もが経験できるかはわからない。専門家になろうとしていた人間が、いつの間にか大衆ビジネスに入り込んだのだ。
「牛丼一杯の儲けは9円」では注目されるかもしれない。だけど、この騒ぎがおさまったあとは、どうなってしまうのだろうと思っていた。パーティーは終わる、でも、人生は終わらない、と誰かがいっていた。そしてパーティー後の静けさは、たとえパーティーが存在しなかったときの日常と同じ程度の静けさであっても、人びとを消沈させるのだ。
そのあとに「続編を書きましょう」といわれた。ただ、単に続編ではつまらない。私は商売の駆け引きを描いた「営業と詐欺のあいだ」を上梓した。2008年9月のことだ。これこそ自画自賛かもしれないけれど、私の本のなかでトップ3に入る面白さではないかと思う。文章はまだ未熟だけれど、読ませる、と自己評価している。ただし、竹村さんからの連絡は衝撃的だった。「昨日、紀伊國屋書店で売れたのは4冊でした」。
あまりにも少ない。「牛丼一杯の儲けは9円」と比べると何十分の一にもなっている。結果的には、そのあとで目利きの人(ブロガーや書店員)が取り上げてくれ、増刷に至った。ただ、何十分の一になってしまったときの、あの哀しさは忘れられない。それ以降も、いくつも本を出し、「牛丼一杯の儲けは9円」と、もう一回の狂乱を経験したことがある。ただし、それだけだ。私には、売れなかったときの寂しさだけが、ずっと心に残っている。
このタイトルは「出版という仕事は個人の何を変えるか」だった。それはまだわからない。ただ、たとえばかつて脚光を浴びたアーティストたちが「ステージに登る快楽を忘れることができない」ということがある。私は、なんとなく、であるけれど、その気持ちがわかる。スポットライトを浴びてしまったあとは、その光が消えてしまうことが怖くてしかたがないのだ。
私のもとに「出版したい」という人たちがたくさん来るようになったのも、このころからだ。私は、希望も夢もお伝えしたあとで、小さな声でこうささやく。「でも、出版しても人生は変わりませんよ。変わるのといったら、自分のなかに穴があくことくらいですよ」と。ただし、出版したことのない人に、この感覚を伝えることは難しいようだ。
私のなかには、いまだにずっと虚無感と喪失感が漂っているというのに。