バイヤーの敵を考える 最終回 バイヤーと自分

バイヤーの敵を考える 最終回 バイヤーと自分

「そんな訳の判らないところへ、何で発注したんだ?」

私がバイヤーになってまもなく、恫喝好きの前近代的な同僚バイヤーから怒鳴られた。加工+組立での半完成での購入を目指して、私が商社へ情報を流してしまったためだ。でも、その商社の動きは機敏で的を得ていたし、今までやったことのない挑戦を行うのが自分の使命と信じて疑わない私は、人生の大先輩でもある先輩バイヤーにまったく臆することなく言った。「価格勝負です」と。その話は後日談があって、私が発注したのは試作。その後に手配されるはずの量産試作はなぜか私でなく、その前近代的バイヤーが旧態依然としたサプライヤーに、私が探し出したサプライヤーからの購入予定価格−1円で発注されていた。私は試作品をいろいろ苦労して対応してくれた商社の担当者に謝った。そして、営業も資材も同じようにフォローが大事であり、発注と言っても、まっていてはダメなんだ、ということを学んだ。

ある事業の将来を担う製品の発注の際、私はサプライヤー自身の調達にまで口を出していたことがある。真偽は信じるしかないが、サプライヤー側の購入価格を見て、さらに先のサプライヤーと話をしていたのである。この場面では、いかに中小企業の資材費が高止っているか?を実感し、面白いように価格が下がっていくことが面白くて、直接的には自社の利益に繋がらない仕事に没頭した。そして、そのサプライヤーの抱えるサプライヤーの過半数を変更してしまった。当初は絶望視されていたターゲットへの到達も夢でなくなり今後が楽しみ~と、私がそのサプライヤーに行かなくなった途端、なぜかいろいろ問題が噴出して、結局変更前のサプライヤーへ戻ってしまった。コストはそれなりに下がったままだったけど。

バイヤーの敵の最後に「バイヤーと自分」と書いた。バイヤー同士が敵になるのは、仕事の成果で評価されるわけで止むを得ない部分もある。しかし、自分とはどういうわけなのか?

冒頭に書いた2つのケース。結局私の敵は、サプライヤーでも関連部門でもなく、同じバイヤーだった。そのバイヤーたちは、いずれも自分に負けているバイヤーだと思った。ちょっと動けばいろいろな可能性が出てきたのだ・・・・・・何か偉そうに自分の経験を書いたけれども、両方のケース共に、私にとっては棚からぼた餅である。成果ほどに自分が努力したわけでもなければ、汗も流していない。現状に対して、自分が持ちえるリソースが使えないか?ってちょっと考えただけだ。資源の再配分・・・・・・私が首を突っ込んだことによって新たに生まれた価値。私はここでも大きなことを学んだ。「棚ぼた」だからカッコウつけて後は適当に・・・・・・でなく、成果を刈り取るまでは徹底的にフォローをやらないと、成果なんてすぐに自分の手から離れていってしまうこと。私のアイデアに乗ってくれた人にとっては棚ぼたでもなんでもないことなのだ。その人たちの苦労を忘れたことを深く反省した。そして「棚ぼた」の時ほど、千載一遇といわんばかりに徹底的に機会の活用を考えるようになったのである。

バイヤーの敵になるバイヤーは、考え方がちょっと私とは違っている。私が求めているのは自分が勤務する会社への貢献であり、利益の創出。その上で、自分を高めて行けたら・・・・・・なんて考えている。

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