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バイヤーの敵を考えるバイヤー 第二回 生産管理
会社によって、購買部門と生産管理部門の関係とか組織形態も様々なので、会社によっては同じ部門になるかもしれない。私がかつて、そして現在所属している会社では、購買部門と生産管理部門は組織的に切り離されており「敵」になりやすかった。
以前勤務していた会社の場合は、購買プロセスが生産管理と購買で分割されており、購買部門が後工程。で、納期が短い場合など特にありがちなのが、サプライヤーのリードタイムを待ったく無視して、生産計画ありき、そして生産計画が絶対というベースでの納期設定だ。それも調整などまったく考えられないような無茶苦茶な納期を指定している。私がその会社でバイヤーを始めた当初は、そんな納期設定が頻発していた。
サプライチェーン全体で考えた場合は、生産管理部門も被害者だ。自社における生産リードタイムをまったく無視したお客様のご要求があるからである。でも、納期短縮はやっぱり購買にやってもらわないと・・・・・・なんて、そんなときだけ御輿を担ぐような物言いをされたところで、物理的にできる話とできない話がある。そんな簡単に御輿にはのらないよってところだ。そして、どう考えてもちょっと無理・・・・・・という納期設定には何度も閉口させられた。でも黙っていては状況は改善しない。
よく「後工程はお客様」と言われる。自分の仕事の結果を受けて、社内外のどういう人が、どんなアクションを起こすのか?そんなことを意識して、後工程が戸惑うことなく円滑に仕事ができるように配慮する、という考え方と理解している。各工程でのそういった積み重ねが、最後の後工程であるお客様に間違いのない製品を届けることに繋がるわけだ。今回の話の様に、実現が限りなく不可能に近い納期設定を、知りながら後工程へ流すなんてことは、もっとも避けなければいけないはずだ。
一方競争が激しくなり、一旦発注されたものは、一日でも早く欲しい!というのが、お客様の常である。それは理解できる。しかし、納期をものづくりの現場にだけ責任を負わせることは、著しいコストアップに繋がる。それも、ある程度標準的な納期で仕事が流れているような製品を、これだけ納期半分でっ!ってごり押しは、前後の案件との入れ替えが不可能な場合、他のお客様へ納期的な迷惑を掛ける覚悟で入れ替えるか、できる工程は交代で生産し24時間作業を続けるとか、何らかの流血をともなう。製造現場でのリードタイム短縮とは、レイアウトの効率化、作業者の熟練度の工場などによって、永遠に短くする努力を行わなければならない。しかし、3ヶ月必要なものを1ヶ月で、ってのはちょっと無理だと思うのである。
私は一回、あまりにも無理難題が酷すぎると思って、
「納期的に責任持てないので、発注しません」
と、関係者に向けて宣言したことがある。指定された納期ではサプライヤーに納入してもらう自信がなかったし、トータルで考えて闇雲に納期短縮を行うことが得策じゃないと判断できたためだ。で、発注してしまうと話のポイントが、購買という社内からサプライヤーへ移ってしまうと思ったので、発注すらしなかった。この納期に変更しない限り発注できません、と開き直ったのである。
すると社内では大問題化。バイヤーが発注しないなんて前代未聞だったのだ。生産計画のみならず、営業部門からも怒鳴り込まれ、当時の上司にはかなり迷惑を掛けた。でも、無理なものは無理と一旦開き直ったので、こっちも簡単には引き下がれない。打ち合わせといっても怒号が飛び交う。「いいからやれ!」「無理です」そんな応酬・・・・・・。
しかし最終的には折れた。同時に、社内でも最短工程を組んでもらい、営業にもお客様との調整を頼んで・・・・・・・無理難題を1/3づつ負担する形で社内的には落ち着いた。そしてサプライヤーに事情を話して、今後同じようなことは起こさない事、再発防止の対策を講じて実行することを約束して、なんとか取り繕うことができた。
社内では、無理無理な納期の場合、事前にインフォーマルに情報が飛び交うようになった。そして、どうしようもない場合には、事前に打ち合わせがもたれることが多くなった。納期は一旦短くなれば長くなることはない。なので、これも永遠に追いかけなければならない課題であるが、私の開き直りは、以前のように、前工程に疑心暗鬼になることなく、言いたいことを言い合える関係を築くきっかけになった気がしている。私はこのことで、できないことを「できない」ということの大事さを学んだ気がする。そして、一人でなく、関係者全員で頭をひねれば、それなりに解決策って見出せるものだし、みんなで力を合わせることの偉大さ、尊さを学んだ気がしている。なかなか充実感は得られるものではないけど、この出来事は、今では数少ないとってもいい思い出になっている。