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「赤めだか」を読むバイヤー
たまたまテレビ番組での紹介を見て、読んでみようと思った本。
赤めだか [ハードカバー]
立川 談春 (著)
なんで?といえば、著者の師匠へのちょっと常軌を逸したともいえる気遣いと、気遣いの中にも「挑戦」する姿勢が見えた気がしたから・・・・・・かな?よく分からん。
落語はこれまでまったく興味をもてなかった世界。だって、私にとっての落語家は、日曜の夕方に目にするテレビ番組の中にしか存在しなかったから。見ていてもそんなに面白くないし、だったら若手芸人のほうが断然面白いと思っていたのだ。
その落語家を紹介するテレビ番組では、大きな会場での独演会の模様が映し出されていた。チケットは売り切れ・・・・・・えっ?!売り切れ?そんなに面白いものなのか?
番組の中では、師匠との関係あり、本の内容の紹介あり・・・・・・「話の面白い人は、書いても面白い」そんな言葉が決め手となって、この本を手に取ったのである。
本には、著者が落語家になるまでが描かれている。著者の選んだ流儀は、最大勢力から飛び出した異端とも言える流儀。芸の修行だから(?)まぁその下働きとして描かれている「不条理さ」はスゴイ。私も学生時代に所属した、あるスポーツの同窓会で、雑巾→奴隷→人間→神様を一年ずつ経験したことがある。雑巾・奴隷時代は合計2年間。人さまに見せて魅入らせる芸を学んでいたわけではないが、不条理さがちょっと懐かしかった。でも当時はその不条理さ故に悩み、飲めない酒を飲まされて、居酒屋の入っていた新宿の雑居ビルの非常階段に座って「絶対に辞めてやる」なんて思っていたっけ。そのときは、「不条理さ」が、その時だけに特別に発生しているもの、と思っていたのだ。
そして、例えば最近2ヶ月間の出来事を思い返してみる。う~ん、結構「不条理ばっかり」だったりする。そして学生時代に不条理に耐えたことが、社会に出て遭遇する不条理への対処のトレーニングに、少しはなっていたのかなと思うのである。
この本では、最後に著者の後ろに続く弟子たちへの言葉が綴られている。非常に厳しい言葉に満ちているが、それほど芸術の世界は厳しいってことだろう。そしてこの言葉は、贈られた後ろに続いている弟子たちには届かないと思う。なぜなら、不条理を超えたことで、過去の自分が受けた不条理を理にかなったものにした著者にしかいえない言葉だからだ。弟子の皆さんがこの先、この本の言葉を理解する日が来れば、この流儀も続いていくんだろう。
そして私は今、車での通勤時間に「落語」を聴いている。これが面白い!
立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「芝浜」