廊下鳶

廊下鳶

タイトルがわかりづらいかもしれない。「ろうかとんび」と読む。
会社の廊下をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、歩いてゆく様を指して言われる言葉である。一般的な言葉であるのかは、私も知らない。ただ、私の部門の大先輩(仮にT先輩としておく)が、そのように呼ばれていた。
T先輩は、人事の季節になるとそれこそ廊下鳶と化して、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、非公式な人事情報を集めて回り、それがまた正確だった。
こんなことを言うと、「何だ日本の古い会社にありがちな光景だな。そんなことしている暇があったら、サプライヤー巡りでもしろよ。」なんて声が聞こえてきそうだ。でも違う。そうじゃないんだ。
私はT先輩を当時も、今でも心から尊敬している。この先輩は、構造不況でリストラされ、消滅してしまった購買部門を企画書一つで再興した、伝説の男だ。その企画書を目にする機会があったが、きちんと製本されたもので、会社全体の物流を実に丁寧に分析し、その改善方法を示してあった。一介のサラリーマンができる仕事ではない。外部のコンサルタントに依頼すれば、数千万円はかかるだろうし、それ以上の価値がある仕事であった。
廊下鳶は表面だけを捉えた言葉に過ぎない。公式情報と同程度に正確な非公式情報を、自分で集めることができるだけの人脈を作り上げる力がこの人にはあったのだ。その力が、前述の企画書にも生かされていたに違いない。
工場勤務だった若造の私が所用で本社に出張すると、既に役職についていたT先輩は時間を割いて飲み会に連れ出してくれた。生意気な私にすら、暖かい言葉を掛けてもらったのを今でも覚えている。目下の人間に対する優しさや気遣いももっていた。
T先輩は購買部門のエースだった。我々部門内の人間だけでなく、他部門の人間からもゆくゆくは上級役員になることは間違いないと思われていた。だが、結局病魔に冒され、若くしてこの世を去った。(亡くなった後、T先輩を偲ぶ文集まで出版された。)
昨日、会社で仕事納めがあり、夕刻には各職場でささやかな飲み会が開かれていた。いつもは自分の職場の飲み会が終わると、とっとと帰宅する私だが、酔った勢いで初めて廊下鳶をやってみた。他の職場の飲み会にも顔を出してみたのである。
収穫はあった。強面で取っ付きにくい印象のあった、他部門の長に思い切って話しかけてみると、見かけとは全く違う人であるとわかった。飲みにケーションも時には無駄じゃない。
T先輩には遠く及ばないが、もう少し努力をしてみようと思った。

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