私を育ててくれた四人の上司(4)

私を育ててくれた四人の上司(4)

私の会社では若手バイヤーは工場配属になり、経験を積んだところで本社に来ることが普通だ。これは別に特殊なことではなく、おそらく本社集中購買を行う大部分のメーカーがそのようなシステムをとっているのだと思う。
しかし、工場勤務が四カ所目にもなると、さすがに単なるローテーションの偏りだけでは片付けられなくなってくる。特に当人には。はっきりいってその工場への転任辞令を受けた時、私の気持ちはかなり複雑だった。
断っておくが、私はメーカーに好んで入った人間であり、製造現場は嫌いではない。むしろ大好きである。しかしながら、諸先輩の例を見てもそんなに「どさ回り」を続けたケースは皆無であった。この若さでもう左遷か?そんなことが頭をよぎったのも理解してもらえると思う。
赴任先の工場は、またしても全く業態が違っていた。不慣れな仕事に戸惑う私を助けてくれたのが4人目の上司である。この人はそしてまたしても高卒であった。そして非常な苦労人でもあった。
前の職場は不況で立ち行かなくなり、閉鎖に追い込まれた。この上司はそこに最後までとどまり、残務整理をしてから、次の職場に赴任している。そして前の職場は、人の生き死にが偶然に左右されるような、そんな過酷な職場だった。それだから本物の地獄を知っている人なのだ。そして次の赴任先であるその工場も、ほんの小さな立ち上げの段階から職場を作り上げてきた。
この人の周りには、他の職場から訪ねてくる人が絶えなかった。本当に大した用もないのに、客がひっきりなしにやってくるのだ。現場の一担当、工場長、外注先の担当者皆がこの人を訪ねてくる。皆がこの人を頼りにしているし、愛しているのだ。この人は会社の外でもPTAの役員などをつとめていた。地域でも人望があったのだ。
私は他にこのような人をあまり知らない。私自身にはとても真似ができないものとあきらめざるを得ない大きな壁が、この人と私の間にあるのだと思う。その壁は何層にも別れているが、その一つを構成している要素が、地獄を見たもののやさしさなのではないかと思っている。
実際、この人が人に頼られてそれを断ったのを殆ど見たことがない。ある意味母のごとき慈愛なのである。この人の口癖は「どうのこうのいっても仕方がない。」というもので、要するに不条理だと文句を言っても仕方がないからキチンと仕事はしようという意味だった。仕事はきつかった(定常的に土曜日出勤が続き、肉体労働もあり、夜も10時過ぎまで働いていた)が、前向きな上司なので部下として仕えて幸せであった。
私がこの人から学んだことは、スキルではない。今までの上司との比較ができる様になっていたこともあるのだろうが、やはり仕事の流儀というのは、ひとそれぞれにスタイルがあるということを学んだのだと思う。それまでは兎に角良い見本を目にすると真似してみたくなったのであるが、この頃から割と客観的に人の仕事を見ることができるようになった。
さて、四カ所目の工場勤務を終えた私は、やがて本社へ転勤となったのである。結果から言うとこの工場勤務は左遷にはならなかった訳だ。あくまでも結果から見れば。

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