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海外とのギャップ。あるべき姿とのギャップ。(2)
そのときの自分を思い出せば、がむしゃらに頑張っていたので懐かしくもある。
ただ、決定的に間違っていたのは、海外のカルチャーをカルチャーとして受け入れられなかったのだ。
ジャパンアズナンバーワンという言葉を引くまでもなく、「ナンバーワンとしての日本」をあまりに過信しすぎていた。というか日本の流儀しかしらなかったのだ。
「はい、コストがあわないのね。じゃぁ買ってもらわないでOKです」という世界を、もちろん想像はできていたものの、経験がなかったのだ。
もちろん私だって、そのときまでに頭を下げて製品を発注したことは何度もあった。
しかし、そこは日本的な曖昧さで、明確に受注を断られたことはなかったのだ。
完全に同等の立場で受注者とともに交渉したことがなかったのだ。
だから相手に言わせてしまったのだ。
「はい、コストが高いと思うならば、じゃぁ帰ってね」
・・・・
海外で得たのは屈辱的な経験ばかりではない。
日本という現実を知るさいに、いかに慣習に引きずられていたかを知ることもあった。
たとえばとあるアメリカ企業のセールスマネージャーからは、突然交渉が始まるやいなや、「ちょっと歩きましょう」といわれた。
何か見せたいものがあるのか、と思ったがなんてことはなく、オフィスから出て、近くを本当に「歩くだけ」だった。
しかし、環境を変え、しかも「交渉は机でやるもの」という前提を鮮やかに壊したこのマネージャーの施策によって、すんなりと交渉が決定したこともある。
おそらくそこには、セールス側と一緒に歩くことで交渉を実施することに対する私の驚きに加え、むしろ交渉というものを部屋の中に矮小していた「日本の常識」への懐疑があった。
このときから、交渉であり、セールス側とのつきあい方を、よりそのとき以上に考え始めることになった。
・・・・
海外で得ることができることが全てだとはいわない。
そして、海外で得ることができるもののほうが日本でのそれより高貴だとはいわない。
だけれど、凡人にとっては、外部環境の変化から得ることができる内容は多い。
海外出張は金を払ってでも行く。
そして、できる限り日本においても多様な種類のセールスマンや交渉相手やビジネスマンと交流すること。
その多様さの中から、発見や再発見を見つけていく。それは通常の業務の枠を遥かに超えることは間違いない。
買うという行為は、単なるモノとカネのやり取りではなく、自己の人生の概念を再考させてしまうような気づきのはじまりだ、と私は思うのだ。
「外国人からバカにされることで、何かを学ぼう」