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意味と無意味の臨界点(2)
このころの根源的欲求が、日々の業務を考える対象にさせ、このメルマガにつながったことは繰り返した。
もう一つ、試みたことがあった。
それは簡単にいうと英語だった。
幸い現場出身者の多い購買・資材部においては、いかなるグローバル企業であっても日系であれば英語が話せる人が少ない。
しかも恒常的に通訳を置いている企業はもっと少ない。
上司や他の同僚が、英語の業務になるととたんに逃げ腰になり、業務自体を回避しようとしている現状を多く見た。
英語だとわかった瞬間に、誰かに仕事をふるという「手腕」で乗り切っている人もいるほどだった。
上司が英語の会議に呼ばれたとき、あるいは英語圏の来客が来たときに、できる限り「同席しましょうか?」と声を掛けたのである。
そして、できるだけ通訳代わりを勤め、その日のうちには会議の議事を簡単にまとめ上司に報告する、というのをやった。どんなに仕事が遅くなろうと、その日のうちにやった。
加えて、ときにはお会いした来客にお礼のメールを打った。返信には必ず、再返信を行った。
そうしている間に、英語の業務がきたら私、ということになり自己の業務の枠を超えた非常に面白い経験が多くできた。
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誤解して頂きたくないが、私はそこまで英語ができるわけではない。
就職当時でいえば、TOEIC500点程度。今でも、800点くらいで、留学した人に比べれば全然である。
しかも、外資系で働いている人や一部の大企業からすれば上記のエピソードは笑ってしまうことかもしれない。
しかし、そういう笑ってしまえる人は多くはなく、英語に関しては惨状続きの企業が多い。
私は、ほんの少しの能力を活用し、それを情報収集のツールとして活用した。
改めて思ったのだが、会社はノウハウの宝庫だ。
自分の業務だけにとどまっていたら、経験も狭くなり、情報があるところからしか集まらなくなる。
普通ならば企業間の設計者同士でやっているやりとりも英語圏ならば、私にメール代送依頼が届いていた。そのときは、「ああ、かくも色々な仕様上のやりとりがあるのだな」と思った。
あるときは自分の業務と全く関係の無い領域のコスト交渉の席上に出、それ以降相手先が私にのみ連絡をくれるようになったことがある。
そして、あるときはある企業の買収会議に参加したこともあるし、そのレターを翻訳したこともある(これが最初のエピソードだ)。
このときは「こんなこと聞いてもよいのだろうか」と思ったものだ。
なんでも自分に情報が集中するように仕向け、そのやりとりの中から自己の成長を促す。
そして自己の領域を遥かに飛躍していく。
あまり具体的には言えないが、交渉していた外資系の企業からお誘いを受けたこともあった(笑って丁重にお断りしたが)。
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よく購買・資材部の非スマートさを自嘲して語る人がいる。
机を叩く、恫喝する、ゆする。
そういう部門であれば、いや、そういう部門であるからこそ、多くの年長者を簡単に抜ける状況にあるのではないだろうか。
そして、ある程度の努力しかせずに、「まぁ購買なんてこんなもんだよな」と分かったふりをする暇があれば、どんどんと越境していくチャンスをつかみに行くべきではないだろうか。
私の場合は、英語でありパソコンだった(これはいつか語る)。
必ず、何か新世代だからこそ年長者にはないものを持っているはずであり、それこそを現状打破の武器として使うべきなのだ。
購買・資材の業務とは何か?を考え直し、自分しかありえないポジションを確立していくべきなのだ。
さらに重要なことに、後輩ができたバイヤーはすべからくそのように超される可能性を消しつづけ、そのように後輩から思われることをずっと恥ずかしく思っていなければならない。給与に本当に合うアウトプットを出しつづけなければならない。
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バイヤーとしていかに仕事をしていくか、ということを考えることは自己の付加価値を考えることにほかならない。
安く買う。品質の良いものを買う。納期を遅らせない。
この基本のお題目はもういい。
それをクリアしたあとの「何か」を考えなければならないのだ。
その「何か」があれば、そういうお題目は既に達成しているはずだからだ。
「自分の付加価値を見つけ、そこから自分だけの地位を築こう」