彼女が中国に目覚めたら(1)

彼女が中国に目覚めたら(1)

「どこまで資料を出させる気ですか!!」

営業マンからの、ただたどしい日本語だった。

呆れにも近い声だった。

バイヤーから続く、いつまでも止まることのない資料要求の嵐。

最初は見積もりから始まって、細かな仕様の確認。そして、品質保証体制の確認から、耐久試験の要求。そして、工場の人員と教育体制。

最初はバイヤーの意向に答えようと必死だった営業マンも、しだいについていけなくなった。

やっとバイヤーからの依頼の書類を出したら、数日経って次の書類の依頼がくる。

しかも、その製品の予定購入数だって決して多くはない。

費用対効果からいっても、そんな要求にいちいち対応するのはメリットのないことだった。

最初は営業マンから高い国際電話代金を払って連絡していたものも、じきに縁遠くなり、そのときはバイヤーからの質問メールに対応する程度になっていた。

バイヤーの要求の書類を提出した後、その営業マンはバイヤーからの質問を受け取った。もう、その果てのない質問攻勢に、その営業マンは返信を後回しにしておいた。

すると、その営業マンはバイヤーから電話を受けることになる。

簡単な挨拶を済ませた後、バイヤーはすぐさま営業マンの提出書類に関する質問に移った。

すると営業マンは、「もう勘弁してくれ」とこう叫んだ。
「どこまで資料を出させる気ですか!!」

結局、このバイヤーと営業マンの取引は開始することなく終わりを迎える。

・・・・

そのバイヤーは私だった。

中国からの輸入検討を進めるプロジェクトの一員だった。

「中国からの輸入拡大を!」というスローガンで始まったそのプロジェクトは、まず私たちを中国の国際展示会に出張させることから始まった。

上海でのだだっ広い展示場。そこに入った私たちは、当時輸入検討の一品目として挙がっていたリレー製品の物色を始めた。

対象としてピックアップできそうだったのは3社だった。しかも、それも全てが日本のサプライヤーよりも安い。

私は、まず「日本の企業というのは多くの書類を提出し、その後に幾度の監査を実施し、さらに長時間かかって、やっと発注に結びつく」という内容を説明した上で、すでに日本企業と付き合いを開始しつつあった中国の1社を選択した。

しかも、その企業は設計者からの要望である「最低一人が日本語を話せること」ということも満たしていた。営業パーソンとして、日本に短期留学していたという女性がその企業にはいたのだった。

メールアドレスの交換から始まり、サンプルの依頼やらなんやらで半日が過ぎた。

そして、帰国。

私は、できるだけ採用を促進しようと、社内規定に従って要求すべき書類を次々に依頼していった。

たまりにたまる書類の山。

そして物事の顛末は前述の通りだった。

その営業ウーマンは私に呆れ、「こんなに細かな検査が必要だとは、私たちを信用していないのですか」とまで言った。

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