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志とバイヤーと(2)
「官が腐っている」というとき「民も腐っている」ということに思い当たる人はほとんどいない。
たしかに官は税金を使った業務をやっているものの、民にだって多くの談合があり、不正があり、堕落がある。
「VA案を出せ」と言いながら、受け入れもせず、目標コストだけを押し付ける行為のどこが「買い叩き」と異なるのか。特定サプライヤーのみに発注を出して、他のサプライヤーを冷たくあしらうことのどこが「癒着」と異なるのか。
これを明確に教えてくれた人などいない。
「自分の決まりきったことだけやっていれば、あとは知るか」と言っている人が、どのように役人を批判できるのか。
本当の改革者とは、大文字ではなく目の前の細かな現実を変えていくことができる人だと、私は信じて疑わない。
黒澤映画「生きる」の公務員主人公が、死を前にしてやっと住民の生の声に耳を傾け始める姿はあまりにも示唆的である。
・・・・
そして最後に付け加えておこう。
私は組織の構成員であるバイヤーの志ばかりを批判してきた。
もちろん、同時に組織の問題もある。
矛盾するようだが、あえて言う。「組織はバイヤーに志を求めるのであれば、給料以上のものを与えなくてはならない」。
もっと言う。志のない構成員だけの組織は異常であるが、志を持っている人だけでなければ動かない組織はもっと異常だからだ。
これまで定時外でも働くことや、切磋琢磨することは美徳とされてきた。「給料が出なくても努力せねばならないときがある」と説く啓蒙書は今でもたくさん出ている。
それは個人論としては有効であっても、組織論としては無効である。
つまり、バイヤー個人にとっては「志を持つ」という自己宣言が必要であるが、マネージャーにとっては「志を持たぬ人でも動ける組織を作らねばならない」という、二重の矛盾した作戦を持たねばならない。
前記の例で言えば、バイヤー個人として会社トータルコストの削減を目指すべきであるが、組織としてはそのバイヤー担当外のVA案であっても吸い込めるような仕組みを構築する必要がある。
そして、志を提供するバイヤーには、必ず給料以上の見返りを与えねばならない。
それなしで、「自分の仕事以外を、なんでする必要あるんですか?」と問う者に精神論だけで返答できるものか。
「志なんて、なんで持つ必要あるんですか?」と問う者に精神論だけで返答できるものか。
同時に、これからのバイヤーはコスト以上の価値を提供してくれるサプライヤーに、金以上のものを払う必要が出てくるだろう。
コスト以上のものをサプライヤーや会社に求めるのであれば、もちろんバイヤーは仕事以上のものを提供せねばならない。
「バイヤーはモノだけではなく志を買ってみろ!!」