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老年者からの遺言(2)
思い出すに、確かに現場を見に行ったときに、工場作業者が清潔にしているとは言えない状況にあった。
そういう風に後出しジャンケンはたやすい。
正直、そのサプライヤーのコストは安かった。
私には「安いが不潔だから、選ばない」という賢明な選択肢は持ち合わせていなかった。
誰だって、サプライヤーの選択基準は「安い」「品質がいい」「納入がキッチリしている」「営業マンが親切」「技術的に先進性がある」。まぁこの程度のものだろう。
どんな購買の本を読んでも、「タバコの臭いがする製品を作るサプライヤーは選ばないこと」とは書いていない。
しかし、考えるにジャケットを買おうとデパートに出かけて、ヘンな臭いのするジャケットを売っているセレクトショップで購入するだろうか?
品質?安価?もちろんそういう選択肢もいい。だけど、普通に考えて選びたくない常識的なことすらクリアできていない「売り手」からは購入したくない。
それが企業間取引だといってどんな違いがあるだろう。
「どのレベルの製品を作るのも勝手。それがOKかどうかは買い手が決めればいい」という人もいるだろう。
「どんな製品を作ろうが自由だ」と叫ぶのもよいが、作り手の最低限の基準もある。「自由だ」と叫ぶのは犬井ヒロシだけにしてほしい。
・・・・
「5Sを軽視しすぎたな、お前は」。
購買の先輩は一言だけつぶやいた。
5Sとはもちろん、「整理・整頓・清掃・清潔・躾」の頭文字をとって製造業の基本を述べたものだ。
私は正直「5Sって言っても所詮古い人間の盲目ルールでしょ」くらいにしか思っていなかった。
しかし、私はその事件以来「意外に5Sって必要なことかもしれないな」と思いはじめた。
何かを莫迦(ばか)にするのはたやすい。だが、それはその基準を遥かに超した者の自慢にも似た懐古主義であるときのみ有効なのではないか。
先輩バイヤー、それも定年に近いバイヤーは常に「5Sの大切さ」を説いていたが、それらは過去の説教ではなく、むしろ現在でも十分に通じるものではないかと思うのだ。
「古きものは信じず」という姿勢も一興ではあるだろう。それはある意味正しい。
しかし、「これかあれか」という二択議論ではなく、「あれもこれも」という、いいとこどりの思想を取り入れてもいいのではないか。
・・・・
今、新聞紙上で、そして調達コンサルタントの宣伝で「何十億円のコストダウン」という言葉が踊っている。
そういう文面を見るたびに思うのだ--「本当に現場は大丈夫なんだろうね?」。
今までの「高い」サプライヤーに見切りをつけて「安い」サプライヤーに乗り換えて「一丁あがり」とコストダウン効果を偽造することはたやすい。
だが、私は常に表面上のコストダウンに隠れた見えぬ不良がきになってしかたがないのだ。
もちろん、バイヤーはカネさえ見ればいいという意見もあるだろう。ただ、私はモノを購入する立場から、どうしても「カネさえ」という卓見に無防備に賛成するほど悟ってはいない。
自分が購入する製品が客先に届くまで責任をもってコーディネートできたらどんなにいいだろうか?
そのときに5Sすらできていないサプライヤーを選ぶだろうか?
5Sが大切という老年者の遺言を信じてもいいかもしれない、という感情が沸いてくることは別に不自然ではない。
ほら、「モテる男」の条件で「優しい」「面白い」の次に「清潔」というキーワードが挙がるじゃないか。
「バイヤーはカネ以前に常識を問え!!」