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しょうもなさと虚構(2)
そういう経験があるからだろうか。
どうしても私は自分がやっていることが「たいしたこと」とは思えなくなっていった。
安さを自慢するバイヤーがいるが、どうしても「自分の知りうるわずかな世界の中でのみ判断している」ような気がしてならない。
世界は広い、そして果てしなく深い。
だから、人は世界に怯えるのだ。
だから、人は世界をわざと矮小化して自分を納得させるのだ。
私はこののち、これまで「最安値」と思われていたサプライヤーより3割以上安いサプライヤーを見つけてゆくことになる。
そして、BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)を生業にしている企業集団から「企業内の購買部が買っている価格なんて高すぎますよ」という清々しい言葉を聞き、「これまでバイヤーが買っていた製品費よりも3割安くなった」という事実を目にするたび、「ああ、これまで購買が守っていたものは幻想に過ぎぬ」と確信を深めていった。
・・・・
最近、購買部門が徐々に変わりつつある、と思う。
それは、おそらくこれまで秀才ばかりが集まっていたところに、凡人が参入してきたためだろう。
この意味における秀才とは、通常の人以上に理解力があり、今やっていることに矛盾さえ感じずに日々の業務をやり過ごしてゆける適応性の高い人たちのことである。
一方で凡人とは、これまでの購買業務のやり方に疑問を感じ、普通の人が納得してしまう程度の世渡りさえ習得せずに、一つ一つの常識を「本当に正しいのか」検証せざるを得ない人たちのことである。
そういう意味では、組織の常識に上手く乗っかり自部門を防衛しようとする人は明らかに前者(秀才)であり、新たな手法を模索しときに「常識はずれ」と思われる行動をとる人は後者(凡人)である。
現在まで、多くの自部門防御策が講じられてきた。そのほとんどの部門では「改革」という言葉を謳う。
改革的であることが最も改革とほぼ遠い、という現実がそこにはある。
「改革」を標榜した思想集団が最も閉鎖的であり、これまでほとんどの首相の所信表明演説で「改革」という言葉が使われ続けてきたのは、そのよい例である。
今のところ、凡人たちは一部の少数の若手か、BPOのプロフェッショナルたちに限られる。
それは過度な自信があるからなのか、自己の調達構造を根本から見直そうとする動きはあまりない。
もちろん、根本から見直すことが常に必要とはいえない。
常に自己の立脚点を疑い、さらに良い方向を見出すことこそ必要とされているのだ。
「バイヤーは自分の仕事を常に疑え!」