このたび朝日新書から「レシートを捨てるバカ、ポイントを貯めるアホ」という本を出すことになりました。12月発売です。良いのでしょうか、このような過激なタイトルで。良いのです。いつだって、ある種の極端さが人びとを惹きつけてきましたからね。そこで、この増刊号では本書の発売に先行して、第1章の冒頭部分を掲載したいと思います。この箇所、編集部でもなかなか好評だったのですよ。

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・あてどもない哀しみ

 カーラジオから流れる安っぽいヒット曲。さびれたスナックの明かりが窓を通り過ぎた。客のいない24時間営業の牛丼屋。行くあてのない金髪の男が雑誌を読んでいるコンビニ。ラジオでは脳天気なDJがどこかのアイドルのニューアルバムについて話していた。

 すると、誰も歩行者はいないのに、前方の赤信号が点灯しだす。指で何度もハンドルを叩き、私は一つため息をついた。

 時計は23時を指していた。
 月末なんて来なきゃいいのに、と思っていた。

 毎月の終わりになると、自分の会社と取引先の工場を往復していたことを思い出す。別に、行きたくて行っていたわけではない。取引先によっては、往復2時間もかかる。19時に出かけても、2時間の用事があれば戻ってくるのは23時だ。しかも、23時に帰社したからといって、私の仕事はそれで終了ではなかった。

 そのころ私は調達・購買部門に属していた。調達・購買とは何か。要するに、企業の仕入れを担当するところだ。ほとんどの企業は、外部からの買い物なしには成り立たない。仕入れといえば、小売店や飲食店のイメージがあるかもしれない。ただ、すべての業種でこの仕入れは存在する。製造業であれば、さまざまな材料を購入する。通信会社やサービス業であっても例外ではない。会社の売上高が100だとすると、60から70は外部からの仕入れや支出などに費やしていることがほとんどだ。

 私はそのころ、製造業の会社で仕入れを担当していた。鉄や樹脂などの材料や、ネジ、クリップ、半導体、ケーブル類、組立部品……あらゆるものを外部から買い集める。多くの場合、当月に買ってきたものは月末までに、売り手と買い手の両社で価格を合意し、その代金を買い手が支払う。

 買ったものの価格を決める。何が難しいのか。そう思われるかもしれない。しかし、たとえば「これを100円で買います」というとき、それなりの理由や根拠が必要だ。それがなければ、上司を説得できない。なぜ110円や90円でもなく、100円が妥当といえるのか。

 私のやり方は単純だった。取引先からもらった見積りに自分のハンコを押す。そして、上司がタバコを吸うために席を外したときに、そっとその書類を置いておくのだ。しかし、そんな手段で上手くいくはずはない。私が顔をそむけていると、いつもどおりの罵声が飛んできた。

「説明しに来い」。そういった上司は、私に一つひとつ説明を求めた。「なぜこれは10円なんだ」。私は言った。「作業者が10秒ほどネジをまわすので、賃率1円として10円です」。「その作業を真似てみろ」。私は前でやってみた。「こうネジをとって、位置を定めて、まわして……」。上司は、「それならば8秒で済む」。いつもどおり、呆然としている私に、作業を繰り返させた。「ほら、8秒だ。熟練したら、おそらく6秒くらいのはずだ」。そして、こう付け加えるのだった。「ほんとうにお前、確認したのかよ」と。「会社の金をムダにする気か」。

 上司の怒りを抑えるためには、「もう一度、確認してきます」というしかなかった。私はそこから、取引先に電話をかけ、帰宅直前の担当者にお願いし、工場確認の約束を取り付けた。電話を切ると「早く行け」と上司からの声が聞こえた。私は泣きそうになりながら、会社から急いでクルマを走らせた。

 月末なんて来なきゃいいのに、と思っていた。

 戻ってきたときには23時が過ぎていた。待ちわびた上司に私は説明を始める。「すみません。確認漏れがありました。グリス塗布の工程がありまして、そこで約3秒必要です。なので、当初の10円には妥当性があります」。上司は頷いたところで、動きを止めた。「じゃあ、ここは?」。上司は違うところを指さした。「検査:15円」と書かれていた。「これは、製品の出荷前検査をするところです」。「全数検査か?」。「そうです」。「なぜ、全数検査が必要なんだ? それは工程能力指数上も正しいのか。Cp値は異常値を示しているのか。サンプリング数はいくつで決定したんだ」。質問の単語の意味がわからなかった。すると、また罵声が飛んできた。「俺が確認しろっていったところ以外は確認しねえのかよ」。

「もしそれらを確認しても、結局は数円しか変わりませんよ」などというセリフは吐けそうにもなかった。そうすると、また同じような罵声が飛んでくることくらい、私にも予想できたからだ。

 その翌日、私の机の上には白紙の「支払遅延始末書」が置かれていた。

・1円への執拗さを役立てる

 私はかつての蟹工船体験を告白しようとしているわけではない。企業が1円にいたるまで執拗な管理を行っていることを、やや極端な上司を通して伝えたかったからだ。

 私の場合は、結局、半年くらい経ったころだろうか。上司からの質問をすべて答えることができたので問題はなくなった。いつの間にか、私はその上司の質問に耐えうるくらいの細かさと理論を身につけてしまったというわけだ。上司がタバコに立った瞬間に書類を置く、という手法はそのままだったけれど、机に戻ってきた上司はにやりと笑ったあと、私の書類に何もいわずにサインをした。

 もちろん、このように執拗な上司ばかりではないし、もう今ではこのようなパワハラでは、部下が辞めていくだけかもしれない。ただ--。たとえ1円であっても曖昧さを残させず、妥協をしない。それを教えられた私の経験を述べておきたかった。

 私は調達・購買部門に属していた、といった。仕入れ担当者が気にするのは価格(コスト)だけではない。もちろん、品質も大切だし、納入時期や納入数量も失念できない。しかし、本書で述べていくのは主に、私の極端な経験から、またそれ以降のさまざまな取材によって学んできた、コストを抑える手法についてだ。「コストダウン」という言葉は聞いたことがあるだろう。まさに、調達・購買部門とは、1円を気にし、1円でも下げることができないかを模索し続ける仕事である。

 それは、第三者からすると、あまりに過剰な活動が含まれているかもしれない。あまりに細かすぎて卒倒しそうになるかもしれない。あるいは「下請けイジメではないか」と誤解されてしまうかもしれない。ただ、1円を抑えるということは、ムダな支出を抑えるということでもあり、かつ適正な価格を実現するということでもある。単に取引先を脅して価格を下げさせるのであれば、それは批判を免れない。しかし、本書で描くのは、そのような恫喝手法ではなく、執拗にかつ理論的に実践されているものである。

 私は一つひとつの購入製品を細かく査定していった。その経験があるからだろうか。私は、世の中にあふれる商品や支出項目に関して、その根拠や削減手法について勝手に頭を巡らせてしまう。

 私が深夜に及ぶまで1円と対峙していた経験から、おそらくそれは、必然のことだったのである。


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