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「ブックファースト・遠藤店長の心に残った本」。ここで茂木さん、勝間さん、池上さんの書籍はバブルであると、やや批判的な見方がなされています。要するに、一部の著者が本を出し過ぎということですね。そして、出しすぎによって中身が薄れている、と論じています。

それに反応したのが、やはり出版点数の多い内田樹先生でした。「ウチダバブルの崩壊」。内田さんは、自ら「バブル」と名することによって、自ら出版点数を抑える(出版時期を遅延させる)ことを述べています。バブルであることには違いなく、それを抑制できるのは、著者自身だというわけです。

さらに、当事者の発言もありました。まずは、勝間さん(「書籍バブル論について~私も当事者の感想を入れます」)、茂木さん(「当事者として」)です。

茂木さんの「本が出なかったら、やることはたくさんあるから、別にそれで構わない」という発言は、おいおい、という感じもして笑ってしまいましたが、本音ではあるのでしょう。

勝間さんのコメントも本音を隠しているのだとは思いません。きっと真面目に書いているのだと(本人を知る限りにおいても)思います。

さて、私はたくさんの本を出しているとはいえ、14冊にすぎません。前述のみなさんと比べたら、冊数としては少ないものです。ありがたいことに、私に場合は編集者から「多産なのに、本によってかなり特色を出していますね」といっていただけています。とはいえ、私だって、読者の側からすれば「たくさん本を出すのではなく、間隔をあけたほうが良い」と思われているかもしれません。

本を書いたことのある人であればご理解いただけるでしょうが、本というビジネスは決して儲かるものではありません。テレビに出ているような有名人の書いた本でも、1万部程度で終わってしまうことは珍しくありません。1500円の本が1万部だったら、1500円×10,000×10%(印税)=150万円ですよ。数カ月かかって書いた対価が150万円というのは、もちろん少ないとはいいませんけれど、多くはない。しかも、1万部なんてかなり珍しく、初版(3000~5000部程度)で終わってしまう本ばかりです。

では、なぜ「そんなに儲からないかもしれないビジネス」に、あれほど優秀な人たちが群がるのでしょうか。私の疑問はここにありました。だって、あれほど優秀な人たちであれば、何かの商売をやればすぐにその数倍の利益を稼ぐことができるのですよ。有料セミナーをやって、講演をやって……と繰り返せば、年収1億も夢ではありません(そして、本を書くのをやめて実際そうしている人もいます)。

ここで、多くの著者たちと会話した限りにおける私の結論を書きます。それは、書籍というビジネスに群がってくる人は「お人好し」というものです。書籍というのは効率が悪いんです。しかし、書きたい。誰かに何かを伝えたい。だから、バブルとわかっていても、本を書き続ける人たちがいるわけです。

私は編集者(出版社)が悪いとは思いません。また著者が悪いとも思いません。何か売れる本を出すとします。そうすると、「違う本も読みたい」と誰もが思うのは普通のことです。そして、ある著者に集中して執筆依頼が届きます。ネタがふんだんにある人であれば、次の本を出します。そして、それはネタが切れるまで続きます。

この読者のなかで、「本を出してみたい」と思う人はいらっしゃるでしょうか。私は以前親しい知人たちに、出版のやり方を教えたことがあります。実際に、私が教えた方の中から数人の人が出版に成功しました。このような企画書にまとめれば、多くの出版社は話を聞いてくれます。

ただ、おそらく問題は「本を出したあと」です。本を出しても売れなければ、執筆は徒労に終わります。それは、金銭的なものではありません。そもそも「自分の文章を誰かに読んでほしい」という欲求から書いているわけですから、本を買ってくれた人が少ない(=読んでくれた人が少ない)状況はできるだけ避けたいものです。だから、逆説的に私は「まずはバブルになるかもしれないけれど、売れる本を目指す」ことを勧めたいのです。私の調達・購買関係の本は、類書よりも運良く売れています。過激なことを書いたり、失恋のエピソードを書いたりするのも、工夫の一環です。まずは売れなければはじまりません。

「バブルになるかもしれないけれど」と書きましたが、ほんとうにバブルを発生させたいわけではありません。バブルはハジけるものだからです。そこで売れたあとに、どう対策するべきでしょうか。自分をバブル化せず、人気は爆発的なものではないかもしれないけれど、ずっと活躍するには技術が必要ではないか。そう私は思いました。

私は勝間さんほど売れてはいませんけれど、出版バブルを防ぐには次の三つではないかと思います。

1.必ず自分で文章を書くようにする
2.3年後に読んでも応用可能なものにする
3.内容ではなく文体に気をつける

この三つです。1.は、著者が実際に本を書いていない、ということの裏返しです。多作にするためには、ライターさんや口述筆記に頼る場合があります。しかし私の場合は、やはり内容が薄くなってしまう、と思います。これはライターさんや口述筆記を否定したわけではなく、自分の場合は内容が薄くなるはずだと制約をかけるということです。それによって、自分の出版物の間隔を一定期間以上になるようにしています。自分で書くのであれば、時間的な制約が避けられないため、どうしてもバブルほどの出版点数は出しようがなくなります。「口述でもいいから出しませんか」と持ちかけていただける出版社もいますが、私はお断りするようにしています(インタビューや対談は除く)。

そして、2.は時事解説的な内容を避けるということです。もちろん、時事解説のほうがウケはいいですし、売れる可能性は高い。でも、それでは自分から「今だけ消費してください」といっているように感じます。3年後にも、読者に古さを感じさせず、読ませることができるか。これがキーだと思います。

また、3.は自分なりの特徴をつけるということです。私の本を買ったことがある人は、えらく「劇画調な文章だな」とか「小説っぽい文章だな」とお感じかもしれません。それは意図的なものです。というのも、私は以前からビジネス書作家があまりに文体に無関心であることに疑問を持ってきました。本は情報や事実を与えるのではなく、思考のきっかけになるべきものです。それは小説であっても、マンガであっても変わらない、と私は思います。文体に特徴をもたせ、できるだけ「流し読みさせない」本にすること。そして、深いトラウマをも与える本にしたいと願っています。

私は、ブックファースト店長の書籍バブル論から、自分の本をバブルにしないような工夫を述べておきました。これは一般の方からすると、「関係ねえ(Copy Right:小島よしお)」ものだったかもしれません。しかし、一人ビジネスマンがずっと活躍し続けることに共通点があると思っています。一時期だけ活躍して、社内で過去の人になるよりも、ずっと活躍し続けたほうがいいですよね。

打ち上げ花火のように一瞬輝くことに技術があるように、線香花火のようであっても、ずっと光り続けるのにも技術が要ります。

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