・Wish you were here.

いまだに影響が正確に把握されていない東北震災。これを書いている時点で死者は6000人を超えた。行方不明者も拡大していく。原発はいまでもなお暗いニュースに彩られている。

そのなかで私が印象的だったのは、避難所に集まる人びとの、諦観とも疲労ともわからぬ目だった。あるいはガソリンスタンドに並ぶ人たちの目だった。インタビュアーが「なぜ何時間も並んでガソリンを買おうとするのですか」。「息子が行方不明で、探さなきゃならない」。そう答えられたら、誰だって二の句が継げないだろう。

私が不意に思い出したのは、ピンクフロイドの名曲「あなたがここにいてほしい」だった。

「How I wish, how I wish you were here. We're just two lost souls swimming in a fish bowl, year after year, Running over the same old ground. What have we found? The same old fears. Wish you were here.」

「あなたにここにいてほしい。僕らは金魚鉢のまわりを漂う二つの魂。何年も、何年も。同じ場所を駆け巡って、僕たちは何を見つけたというんだ? 同じ恐怖が僕たちに常につきまとう。ああ、あなたがここにいてほしい」(日本語訳は坂口によるもの)。

Youtubeでもアップロードされている、この名曲を思い出した。ちなみに、この歌詞は著作権切れのものではない。ただし、弔いの意味も込めて、ここで引用させてほしい。

ここで説明するほどではないけれど、ピンクフロイドが「I wish you were here.」と歌ったとき、その「were」は実現しえない意味だった。要するに、「あなたはここにいない」、だからこそ「あなたがここにいてほしい」だったのだ。

個人的な話だけれど、この数年のうちに、いくつかの恋を終わらせたことがある。

そのなかでももっとも印象的なものは、3年ほど前のものだろうか。当時、私は東京と神戸を行ったり来たりしながら仕事を重ねていた。仕事が忙しいと、彼女に連絡を怠りがちになる。

これまで週に一度会えたところも、2週間に一度、あるいは月に一度になる。彼女の仕事もぎりぎり、私の仕事もぎりぎりだったとき。私は一人で旅行に行ってしまった。

もう休まなければ、これ以上は仕事が続かない。それに彼女と一緒ではなく、あくまでも一人で休んでいたい。そう思ったゆえの判断だった。

彼女は戻ってきた私を見て、しばらくすると「別れましょう」といった。「もう会うべきじゃないと思うの」と。私という人間は、彼女のそばにずっといてくれる男性ではないと思ったのだろう。大事なときに遠くに離れてしまう男性など、女性は求めていない。

おそらく、女性の本能として「大切な人とは物理的に近くなければいけない」のだ。これに例外はないだろう。どんなに優しい男でも、知的な男でも……。常に、近くにいてくれなければならない。「遠くの一番よりも、近くの二番を選ぶのよ」とある女性は教えてくれた。

震災のとき。

家の奥さんが、外の旦那さんに電話をかける。「地震で心配だから、すぐに帰ってきて」と。旦那さんは、奥さんのその切迫度がわからない。だから、「大丈夫だよ、安心しろ。ちゃんと帰ってくるから」と応える。奥さんは「すぐに帰ってきてほしい」のだ。それだけだ。ただし、それを男は理解できないのである。

「そばにいてあげる」こと自体が、理由抜きに人びとを(そして女性たちを)安心させる。物理的に近いことその事実こそが、人びとを安穏とした状態にさせる。

不謹慎だとは思っているけれど、あえて言う。震災のときに意中の女性にアピールしようと思えば、それは「彼女のそばに行く」だっただろう。それ以外の答えはない。危険をかえりみずに、そしてなにより先に自分のもとに駆けつけてくれる。その事実こそが他の男性と圧倒的な差をつける点なのである。

・What have we found?

そして、冒頭でピンクフロイドの「あなたがここにいてほしい」を引用したのは、もう一つの理由がある。「Running over the same old ground. What have we found? The same old fears.(同じ場所を駆け巡って、僕たちは何を見つけたというんだ?)」と彼らは歌った。これは私に考えさせるにじゅうぶんだった。

神戸大震災があった。そのときほど、家族と親戚と、愛する人たちが「生きてくれていること」の重要性を感じたときはない。同時に、あのときほど他者にたいする奉仕精神を学んだときもなかった。

今回の東北震災のときも、多くの人がまっさきに考えたことは「家族は大丈夫か」だった。「両親は大丈夫か」「子供は大丈夫か」「愛するあの人は大丈夫か」……。これらの疑問と無縁だった人はいないだろう。ただただ、「生きてくれている」ことだけを祈ったのである。

被災地でも、あるいは東京都内でも、「家族が生きていること」を確認できただけで落涙してしまった人は多いだろう。福島原発で働いている人だって、まっさきに考えたのは「自分の家族は無事かどうか」だったに違いない。震災のときには、単に「生きてくれている」事実だけが重要なのだ。

ただーー、と私は思う。

この日常への感謝は、近いうちに消えてしまうだろう。もう数日、あるいは1ヶ月ほど経てば、その「大切な人が、ただ生きてくれていること」への感謝を忘れてしまうだろう。

私は、それが悪いといいたいわけではない。人間とはそういうものだからだ。失念の生き物だからだ。

防災グッズも震災直後は売れる。しかし、それを携帯し続ける人はほとんどいない。日常が感覚を麻痺させ、誰の頭にも震災の記憶は残らなくなる。大切な人が「生きている」ことが、あまりにも当たり前になって、その価値は消えていく。

そういうものなのだ。

ーー同じ場所を駆け巡って、僕たちは何を見つけたというんだ?

きっと何も見つけてはいない。このような大事件を、自分の人生を見直すきっかけに使えるだろうに、ほとんどの人はそうしていない。かつて、9.11テロのとき、マッキンゼーに働く女性は「私はここでこんなことをしている場合ではない」と啓示を受け、すぐさま社会起業家として人生の舵を切り直した。しかし、それほどまでにダイナミックな変化を自らにもたらした人は多くない。

ーー同じ場所を駆け巡って、僕たちは何を見つけたというんだ?

私たちも、彼女と同じく、日常という退屈に戻る前に、少しは考えることができるだろう。自分の人生に、家族に、愛する人に。「そばにいてあげること自体の大切さ」「生きてくれていること自体のすばらしさ」。

これらは語りすぎると、宗教になってしまうので、私にはためらいがある。しかし、日常のなかに埋没する前に、すこしでも自分を変えるために震災を使うことができたら、不幸中の幸いだということもできるだろう。

ーー同じ場所を駆け巡って、僕たちは何を見つけたというんだ?

私たちが何度も重なる不幸のなかで、何も見つけられない、というのは哀しい。震災の教訓として、日常が日常であることのすばらしさくらいは噛み締めておこう。そして、ただただ大事な人のそばにいてあげることのすばらしさも。

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