これまで、さまざまな交渉術が喧伝されてきた。しかし、そのほとんどが、かつての心理学者たちのエッセンスを抽出したにすぎず、私には物足りない。そんな話を前回した。

ところで、前回はかなり異質な話であり、かつ今回から購読なさっている人には理解できないだろうから、おさらいから始めさせてほしい。前回は、交渉というものに多大な影響を与えた臨床心理医ミルトン・エリクソンの名前を挙げた。

エリクソンの発見した真理の一つは、相手を操作したければ、まず相手の「情報空間」に入れ、ということだった。エリクソンは、相手の「情報空間」に入り、そこで相手と同化してしまえば、相手を動かせる、という恐ろしい「発見」をした。「交渉では、話しすぎてはいけません」とよく言われる。エリクソン流に解釈するとこれは、相手に話しをさせ、情報を引き出し、相手の「情報空間」のなかに介入していけ、ということである。

では、「介入」するとは、たとえばどういうことか。

営業のテクニックに「相手の仕草を真似しなさい」というものがある。相手が腕を組んだら、こちらも腕を組み、相手が笑顔になればこちらも笑う。言葉や態度、手振りを真似する。この手法も、相手から情報を引きだし、その情報に同化、あるいは一体化して相手に介入していく方法の応用だ。

まずは「相手の情報空間に介入すること」が必要である。

これが前号の説明だった。そして、前号の終わりに、エリクソン派が発見したもう一つの大きなことは、「人間とは、物理的な状態と情報の状態を区別できない」ということだ、とも説明した。これを今回は述べていく。

・人間における現実と仮想

交渉の前提はWin-Winを目指すものとされるけれど、実務的にはそのWin-Winの分配比率をどのように設定するかということが焦点となる。Win-Winといっても、相手にこちらの要求を呑ませるということがやはり現実的には必要となってくることもあるだろう。

私はさきほど、人間とは、物理的な状態と情報の状態を区別できないという「できそこない」の性質を持っている、と述べた。物理的な状態と情報の状態を区別できない、とはそもそもどういうことだろうか。

私が心酔していたポストモダン哲学の嚆矢であるラカンによると、人間は、想像したもの、すなわち「仮想現実」と呼ばれるものと、普通に言われている「現実」とのあいだに本質的な違いはない。どちらも脳の信号がつくりあげている世界だとクールな見方をすれば、その両者になんら差異は見つけられないということでもある。

これはまるで映画『マトリクス』の世界だ。自分は、いまここに生きている「と思い込んでいる」にすぎない。夢が現実か、現実が夢か。それを問うこと自体、あまり意味がない。マンガやアニメなどの2Dの世界にはまっていく青年たちをバカにはできない。それがたとえ2Dの世界であったとしても、現実社会で快楽を享受するわたしたちと、本質的な意味でどれほど差があるだろう。現実であれ、それが架空であれ、脳が快楽と処理している以上は、同じことではないか? 近年のラカン学派には、そんなことを主張する人もいる。

しかし、である。

それは、あまりに観念的すぎる考え方だ。たとえ、現実が究極的な意味において、2Dの世界と変わらなかったとしても、それでもなお、現実社会で得る「やりがい」とか「快楽」のほうに価値がある。そういう考え方はあっていい。私だって同じ考えだ。「夢と現実とは、何が本質的に違うのか」というこの議論はここで止めておこう。しかし、覚えておいてほしいのは、そのように脳が作り出した架空の状況であっても、なんら現実と等価に扱うことができるくらい、あるいは架空のほうに重きを置く人がいるくらい、人間の脳とはある意味「柔軟」ということだ。または、「できそこない」ということだ。

やや遠回りをしてしまった。ここで、話は交渉に戻る。

人間は物理的な状態と情報を区別できない、といった。昔の人が伝えた「病は気から」というテーゼは、「病=体」が「気=情報」と分離できない、という意味で正しいものだった。暗いところに閉じ込められて不快音をずっと聞かされると、体に変調をきたすことはよく知られている。また、嘘であってもずっと自分についての悪いウワサを聞かされて生活していると自律神経失調症になってしまう。

また、前向きな例としては、上流階級で高学歴な親元で育った子供は、「勉強ができるのが当たり前。ちゃんとしたマナーを身につけているのが当たり前」という情報空間のなかで暮らすので、それが態度や振る舞いに自然に現れ、そのように立ち振る舞うことでいつかしら、ほんとうにそうなってしまう。東大法学部に入学した子供の親が、同じく東大法学部卒だった、という例は、そのような作用が働いているからだ。

自己への刷り込みという点では、イチローが子供のころに自分が一流のプロ野球選手になると紙に書いて宣言したことは有名だ。彼は、その後にその宣言を繰り返し潜在意識に沈めることで、いつの間にかそうなるのが当然という「思い込み」で青年期まで過ごして成功した。

繰り返す。人間は情報と物理的なことを区別できない。情報で提示されたものは、まさに自分自身が体現すべく動き出してしまう。これが成功法則や夢物語に隠された理論の一つだ。

・催眠と交渉

なぜ催眠術師は、被験者の状況を細かく描写することから始めるのか。「あなたはとても今緊張していますね」「あなたの肩には力が入っています」「あなたは硬い椅子に座っているので、その硬さが伝わってきていますね」。これらの細部の記述をしたあとに、徐々に睡眠に導入していく。

もちろんこれは、リラックスさせる狙いもあるけれど、何より相手の情報に介入するためだ。人間は情報と物理的なこととを区別できない。まず、情報を相手と合致させることで、相手の情報に介入する。そして、徐々に情報をズラしていけば、体は一度合致してしまった情報側についていこうとする。まずありのままを記述し伝えたあとに、「だんだん眠くなってきます」「だんだん気持ちが明るくなってきます」と、簡単な変化から唱えるのは、少しずつ物理的なものに影響を与えたいためだ。

よく、催眠術なんてインチキだ、という人がいる。また、懐疑的な人もいる。その一方で、催眠を心から信じ、また自らも操作された経験を持つ人がいる。その両者が存在するのは当然である。情報に介入された経験の無い人は前者となり、ある人は後者となる。

自分の情報に介入され、籠絡される際は、深い変性意識に陥る。その陥りやすさは、どれだけ事前に自分の情報に介入されているかにかかっている。この点で「信じている人は操られる」というのは当然であり、そもそも心に壁をつくっている人は、情報に介入されないから(正確には、情報を提示しないから)、変性意識に入りようがないのである。

これを実務的な交渉に応用するとどうなるか。おそらく、これまでのスタイルを変える人が出てくるだろう。相手にこちらの要求を飲ませるのに近道は、こちらの情報を開示し突きつけるのではなく、逆に相手から情報を引き出し、そこに介入することだからだ。

まず些細なことから相手の状況を聞きだす。そして、相手が考えていることや行動様式、立場や役目を把握する。そして、「なるほど~ということですね」と繰り返す。相手が言ったことを繰り返すだけでも、十分に相手の情報に介入することになる。それを繰り返し、繰り返し、「なるほど~ということですか」と徐々に自分が操りたい方向に軌道修正していく。

人は自分がかつて言ったことを否定することができない生き物でもある。相手の言ったことを理解し、そこの端々にほんとうに自分が呑ませたい要求を潜り込ませていく。相手が述べたことが、まさに自分が伝えたいことであるかのように言い、それが相手の主張と相似していることから相手が「自ら選択した」かのように思わせていく。

これまでさまざまな形に変容してきた交渉術とは、かなりの部分が、心理学の成果を利用することで成り立っている。そして、そのコアとなるところは、相手の情報空間に介入することにあった。それは、人間というものが、情報と物理的状態を区別できないからだった。

交渉は「する」、のではない。相手を操り、本当のWin―Winに「導く」ことが大切なのだ。

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